一歩ほど手前にて。

どうも、須貝です。

最近ゴドーを待ちながらの稽古の疲れのためか、帰ると泥のように眠るか、極限まで頭が冴えて眠れないかのどちらかを右往左往しております。
演ずるということも技術で、鍛え上げることのできるもので、筋肉と同じように、傷付けた分だけ補う力が働いてさらに前へ進ませるもののように思っています。僕は元気です。これからもずっと、元気であり続けるでしょう。

今ちょうど、どうも気持ちが昂っていて、なかなか眠れそうになく、こうやって文章にしてそれらを吐き出して形にして残そうとしております。気持ちがそのまま文章のテンションに直結するのであれば、こういう気持ちの時にこそ書き残すべきで、そういう時に自分を離れた、自分以上が舞い降りるような、そういう気がしています。書く仕事をしている方には経験がたくさんおありのことと思います。そうやって訪れる瞬間のためには、それを待つ数百倍の忍耐の日々があって、それがなければ訪れてもそれと気付かずに過ぎるのです。

何をする時も、一歩ほど手前がいいと思っています。例外もありますが、そのくらいのバランスが危うくて良いようです。

泣く一歩ほど手前、怒る一歩ほど手前、笑う一歩ほど手前、狂う一歩ほど手前。

至ってしまってはもう、後は落ちるだけで、ならば至る前を延々と続けられることの方が、凄いような気がするんです。

2012年の日々は、昔を思い返すことが本当に多くて、歳のせいかもしれませんが、失ったことや失った人、失った機会のことにずっとずっと、思いを馳せていました。
あの時にこうしていれば、なぜあれを選ばなかったのだろう、あの時の自分はなぜこれに気付かなかったのだろう。どんなに前を向いていても必ず、日々の中で日常の中で、それが不意に頭をもたげてくる。それは辛さもあるし懐かしさもあるし、適度に心を撫でて傷付ける、そういう瞬間たちでした。
そうやってぐるぐる思っていると、自分はそれらを何も失ってはいないような、そういうおかしな気持ちになります。段々と、それらも生きているような気がしてくる。詭弁かもしれませんが、随分救われます。

前を向こうとしたからこそだと、思っているし思うようにしています。不思議と否定する気持ちが起きません。

ずっと一歩ほど手前を、歩き続けた一年でした。

僕が宝物のように抱く思い出や時間は、あくまで僕の側の問題で、あなたには何の関係もない、埋もれて消えて過ぎ去った取るに足りないことなのかもしれないけど、それでも僕という人間を生かしているのであれば、あなたという人間は、きっとあなたが思う以上に凄い人間なのだと思います。
あなたを生涯愛し続けようと思って、あなたとあなたの隣の人の世界に、常に新しい光が注ぎ続けるよう、祈ってやまない。この気持ちを愛情と呼ばないのであれば、この世の中の何も信じられない。心から思う。心から想おう。

2013年はどうなるのだろう。

自分を、楽しみに思おう。

あらゆることを心待ちにして。

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