どうも、須貝です。
30 YEARS GODOT『ゴドーを待ちながら』、無事終演致しました。キャスト、スタッフの皆様、ご来場下さった皆様、応援して下さった皆様、誠にありがとうございました。
今後の自分の役者人生に、確実に一つ、楔を打つことが出来たように思います。
また今度ゆっくりと振り返ることになるだろうと思うので、今日はこのくらいにして。最近思うことどもを少し。
○言葉について
突然ですが、僕は山形県出身です。しかし、山形弁が喋れません。喋れないことはないのですが、いわゆる皆さんが期待するような感じの山形弁がよく分かりません。
両親もそこまで訛っておらず(なぜか分かりませんが、今は昔より訛っているような気がします)、祖父母と同居していなかったからなのかもしれませんが、とにかく元からほとんど今と変わらない言葉遣いをし続けております。
とは言え、周囲に山形弁を喋る環境があり、友達もその言葉で話していたのに、なぜ今、自分がその言葉を知らないのか、理由がよく分かりません。別に喋りたくなくてあえてそうしていたとか、言葉を直されたとか、山形弁を馬鹿にしているとか、そんなことは一切なく、むしろ凄く好きなのですが、このことに関して今になって強いコンプレックスを感じます。
一言で言うと、全然おいしくない。
俳優で、山形出身で、となると、訛る役のようなものを要求されることもあるかもしれないし、第一、話の種として訛って喋れた方が面白いですよね。僕が山形弁で喋ろうと思うと、なんとなく違和感というか、ネイティブではない感じがしてしまいます(僕個人が勝手にそう思っているだけかもしれませんが)。「関西弁を喋れない大阪人」と言えばもっと分かりやすいかもしれません。
この、言葉ということで、山形出身であるという先入観をもって臨まれると、非常に困ります。無理に標準語で喋らなくてもいいよと言われても、そもそも喋れないのだから、それっぽく訛って話す方が嘘くさくなります。頑張って言葉を直したんだねと思われるのも癪です。むしろ山形にいる時から今に至るまで、言葉に関しては何一つ曲げてはおりません。ずっとこんな感じです。山形の友達と話す時も僕はこれです。山形にいる時からそうでした。
僕の喋りたいように、使いやすい言葉を、快く使っているのに、それに関して何か言われた所で、どうしろと言うのでしょう。
ゴドーを待ちながらという古典作品を古典の言葉遣いで演じた時に、そんなようなことをなんとなく考えていました。
と言いつつも、自分の言葉のリズムがいわゆる標準語とも違うという気はしています。プラスに考えれば、いい具合にハイブリッドされているのかもしれません。
関連して、僕は日本で海外の方と話す機会がある時、特に欧米の方ですが、まず日本語で話すように心がけています。向こうが英語で話し掛けてくれば英語で返しますが(いや、別に喋れませんよ)、こちらから話す時は、まず先方がどの国の方か探るようにしています。
というのも、外人だからといってまず英語で話し掛けるというのは、少し乱暴というか、失礼な気がするんです。確かに英語は世界の共通語だけど。
だって僕らがまず「ニーハオ」と挨拶されたらやっぱりちょっと、違和感を感じるじゃないですか。挨拶だけでもいいんです。「ボンジュール」でも「スパシーバ」でもなんでも、「僕はあなたがどこの方だか知っていますが、便宜上英語を使わせて頂きますね」という配慮が、大事なんだと思うんです。まーもちろん、分かんない時の方が多いけどね。
要は、相手を限定しないということが、僕は凄く、難しいけど大事なことだと思っています。
○歳を取れば取るほど、分かっていなければならないような強迫観念に襲われて、分からないとかどうしたらいいか困るとか、そういう風に素直に言えなくなるのかもしれないけど、実際歳を取れば取るほど分からないことの方が増えてくる。生きることが複雑になっていく。投げ出すのではなく、常に可能性と答えを、それらしいものが見つかったとしても、まだ疑ってそれを探し続けていけるような、そういう強い大人になりたい。
○なりたい大人になれてはいないが、なりたくない大人にはなっていないから、まだその分評価できるとも思っていて、ただ、だからと言ってなりたい自分を放棄してもいけないので、やっぱり苦しむこともある。
2月は落語と箱庭円舞曲の公演があります。詳細はお知らせコーナーにて。