そろそろ春も終わるので…

気づけばもう六月。
春ももう終わっちまうし、いやな梅雨がやってくる。
そんな梅雨の湿気にやられる前に、この本を紹介しておきたい。

ヘルマン・ヘッセといえば「車輪の下」が有名だけど、太宰治における「人間失格」や、夏目漱石の「吾輩は猫である」のように、有名な主著よりも、面白いものは書いているわけである。

今日紹介するのは「春の嵐(ゲルトルート)」

青年時代の過ちで体に障害が残ってしまった、ヴァイオリニストのクーン。破滅的な人生を送る当代人気のオペラ歌手、ムオトに認められ、徐々に作曲家として成功してゆく。そんな時彼は、若い芸術家を歓待するサロンの主催者の娘、ゲルトルートに出会う。
不自由な体ゆえに、ゲルトルートを愛していることを告げられないクーンの葛藤、その思いを創作に昇華するまでの、彼の心の流れが散文的に描かれる。ゲルトルートがムオトと結婚し、その結婚生活が破滅するまで、クーンは彼女を変わらぬ愛で支え続け、やがて二人は恋愛を超えた深い愛情で結ばれる。

全編を通して、物語はヘッセの詩的な表現で描かれる。それが苦手な人には読みにくいとは思うが、要はこの本、何が凄いと僕が思ったのかというとですね、「何かを生み出すということの苦しみ」を、ヘッセという一人の創作者が、真っ向から向かい合って書いていると思うのですよ。主人公が自分に与えられた音楽的な霊感を自覚し、創作を試みる。一生消えない障害や、認められぬ日々、失恋、親友の死など、あらゆる苦難を乗り越えて、それでも創作へと向かう主人公の姿が、強烈に脳裏に焼きつく。

自分も役者をやったり、戯曲や小説を書くので、創作の苦しみというやつといつも向き合っている。何があっても、それでも俺は生み出さなきゃいけないんだ、という、クーンの中にもあったであろう、使命のようなものの存在を、僕も多少なりとも自分の中に感じることがある。何かを生み出そうとする人たちにとって、創作は生きることと同義である。何があったって生きなきゃいけない。じゃあ創作はやめられない。おそらく、ヘッセ自身のたどり着いた答えでもあったのではないだろうか。

クーンとムオト、クーンとゲルトルートの友情も、屈折し、時に悲しくはあるが、非常にさわやかに描かれている。物語の最後、クーンがゲルトルートとの近況を語るくだりは、感動を誘う。

誰かを愛する時、相手に対して見返りを求めたりはしない。見返りを求めているということは、それはたぶん純粋な愛じゃないんだと思う。頭じゃ分かってはいるんだが、たとえ報われないと分かっていてもその人を愛し続けるなんて、聖人君子ででもなきゃできないっつー話ですわ。

私小説的な要素の多いヘッセの小説の中では、比較的に小説として完成されていると思う。是非一読あれ。

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