ものを書くということ。

どーもこんばんわ、須貝です。

早いものでもう十一月も終わってしまいました。明日からは坊さんも走る忙しさ、師走の始まりです。彼らほどではありませんが、僕も少々忙しくなりそうな予感です。

で、ささやかながら今月はちょっとブログ強化月間ということで毎日更新とか息巻いていたわけですが、思ったより苦にならなかったというか。前からこんくらい頑張っておけばよかったな、なんて思ったわけですが、こうやって毎日書いてきて、一体自分にとって書くということがどんな意味を持っているのか、少し分かったような気がしました。

自分にとって書くということは、ちょっとした文章や戯曲や小説のようなものを書くということは、何かこう、救いのようなものなのだなと思いました。
僕は書く上での、苦しむとか悩むとかいう過程も含めて、書き上げた時の達成感や何かしらの反応が返ってくるということへの喜びももちろんあるんですが、書くという行為そのものに救われている気がします。

言葉を書くことで自分が浄化されていっているような気がします。

僕は役者として生活していけるようになりたいと思っているのですが、役者としての自分に対する批判や中傷にはわりと耐えられるようになってきたと自分では思っています、。いや、ヘコむんですが、基本的にかなり、周りがウザったく思うくらいヘコむんですが、ただそれでも三日後くらいには立ち直っているし(たぶん)、一週間経てばまた頑張ろうという気持ちに大抵なっていたりします。

ただ、書くという行為に関しては何となく別な気がして、書いている時はもっと自分の中の本能的な部分というか、生理的な欲求というかそういう部分から書いている気がして、書くという行為をもし否定されたら、それこそ人生が歪むくらいのショックを受けるんじゃないかなと思っています。

だから僕は書くことは商売にはできないなと早々に諦めてしまっていたのですが、まぁそんでもよいものを作っていくためには人前にその不恰好なものをさらしておかないと、不恰好なまま放って置くといつまで経っても格好良くしてもらえないわけで、そういう気持ちからブログを書き始めたという部分はあります。一応それが僕の書くという行為に向き合う姿勢の一つの転機だったと思っています。こんな内面的な話をされても皆さんには何の徳もないでしょうが…。

一体何人に見てもらえているのか、もしかしたら自己満足で終わっているのかもしれませんが。
時々ブログを読みましたという言葉をいただけるのはありがたくもあり恥ずかしくもあり、未だにどう対応していいのか分かりません。

こうやってブログという形で文章を書くということは、薄いベニヤで出来た畳一畳分くらいの大きさの壁一枚隔てて、知人も他人もひっくるめてほぼ世界中の人たちがその向こう側にいる、そんで僕はといえばその反対側で素っ裸になって息を潜めていて、ベニヤの壁の人々のいる方の側に、「この反対側で僕は素っ裸になっています」という貼り紙を貼っといて、興味を持った人が後ろから回り込んで見れば、前は見せないにしてもケツくらいは見えちゃいますよ、という感覚です。個人的には。
だから究極的には自分にとってそれは楽しみの側面を持った試練で(Mです)、そしてそれでいてちゃんと僕をついでに救ってくれているのだと思います。

皆さんにもやはりそういう救いのようなものはあるのでしょうか?役者をやるとか絵を描くとか音楽をするとか、恋人と会うことだったり、両親と暮らすことだったり、自分の子供を可愛がることだったり、車に乗ることだったり、好きなアイドルを追っかけることだったり、ペットと散歩することだったり。

そういう部分でちゃんと救われていれば、自分から死のうなんて思うことがなくなるのではないか、と思っています。でもそれは、そうあって欲しいというただの甘ったれの幸せ肥ったひ弱な考え方なのかもしれません。世間知らずとも言われるでしょう。でもそうであればいいと思っています。そしてそれを周りが理解してあげていれば、とも思います。

僕は「芸術」は「救済」であるべきだと思っているので、いつも自分がすることに関しては、できればそれに触れる人が救われて欲しいと思ってやっています。それが理想で、しかし遥か彼方、生きている内に到達できるかどうかも分かりません。でもそれが理想です。

だからいつか娯楽を脱して芸術を創生したい。「芸術」って言葉がいやですけどね、「芸」に「術」なんていかにも軽々しくて味気なくて。「美」と言った方が近いでしょうか。まぁそんな名前の話は置いといて、要は人助けしたいんです。

人助けというと傲慢ですが、「今日お芝居見たらちょっと面白かったから二日くらい死ぬの延ばそう」なんて思ってもらえるものを作りたい。別に自分一人の力でその人の人生を大々的に変えられるなんてハナから思っちゃいませんが、そんくらいは理想として持っていても怒られないでしょう。

話の方も大々的に逸れましたが、とりあえず書いていてよかったと思います。分からないことはすぐ調べるようになったし。

皆さんも自分が救いとすることと末永く付き合っていければ、と僭越ながら思います。

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