最期に一言~and now.~(3)

 宣言通り、僕は次の日に円ちゃんの家を訪ねた。彼女と今日こそゆっくり話せるかと思ったけど、朝から円ちゃん家はなんだかバタバタして落ち着かない様子だった。

 まずお父さんは会社に遅刻しそうになってパニックに陥り(前の晩、円ちゃんの帰還祝いと称して散々飲んだらしい)、お母さんも同窓会があるとかでお父さんのお弁当を詰めながら化粧をするという離れ業をやってのけ(結局両方が適当になっただけだったけど)、円ちゃんは円ちゃんで、

「今日は仙台の方で銀行の人と会わなきゃいけないんだ」
「銀行?」
「うん。融資の話」
「そんなことまで円ちゃんがするの?」
「うん。だからさ、今日はちょっと時間ない」

 つまり、この家の中でおっとりと時間を過ごしているのはインさんだけで、カツラであると噂されるニュースキャスターが(カツラのクセに)偉そうにいじめ問題を論じているのを、本当に面白そうに、それこそ食い入るようにじっと見つめているのであった。

 この人ももし中学生の時にカツラであるということがバレていたら(そんな中学生はもちろんいないけど)、きっといじめにあって、こんなに偉そうには話せなかっただろうに、と変なことを考えてしまっていた僕は、円ちゃんのお父さんが左右の靴下がちぐはぐで、シャツも裏返し、ジャケットも裏返し、スラックスも裏返しで(どんな状況でそうなったか、逆にそうなる方が難しいと思うが)、お弁当の代わりにポットを持って行こうとして円ちゃんのお母さんにそこだけはとりあえず見咎められ、それでもめげずに玄関に向かって猛ダッシュしていく姿を横目で見ながら、手持ち無沙汰にソファのインさんの隣りにちょこんと座っているしかなかった。

「お母さん、途中まで車で乗っけてくから、急いで!私もう出るよ!」

 あー、僕は本当に一体何をしに来たんだろう?どうしてインさんはスポーツニュースを見て笑っているんだろう?松坂さんの顔がそんなに面白いのだろうか?

「インさんは銀行行かなくていいの?」
「だいじょうぶです。まどかいってくれます。アハハー、おかしー!アンパン」
「アンパン!?それ松坂くんのこと?」
「うん、今日は私しか行かない。あ、そうだ」
「なに?」
「晋ちゃん今日暇なんだ?」
「うん」
「インさんをさぁ、どっか連れてってあげてくれない?」

 え?

「僕が?」
「ほんとですか?ありがとございます~」
「良かったね、インさん」
「ちょ、お、こらこら、まだオッケーしてないでしょ?」
「大丈夫、ちゃんとバイト代も出すから。現地の視察のお手伝いってことで」
「えー…?」
「こんな田舎の街にインさん一人放り出すわけにもいかんでしょ?電車だって一時間に一本なんだから。車で連れてってやってよ」
「ついでにかんこうします」
「そんなに見る所ないって。あ、上杉神社行くといいよ」

 一体どこまでマイペースなんだ…もっとちゃんと抗議してやろうと思ったが、既に円ちゃんの姿はなく、玄関の方から円ちゃんと円ちゃんのお母さんの「行ってきまーす」という言い訳のような声が聞こえて来たので、僕はおとなしく彼女に従うことにした。もううんざりだ。

「じゃあインさん、出かける準備しようか。俺車回してくるから」

 三十分後、僕とインさんは同じ車上の人となっていた。向かうは米沢、雪深い城下町である。

「何か聞く?」
「ボアあります?ボアききたい」
「あ、ごめん、BoAはないな…ヤイコとか聞く?」
「あー、くにわけさんのかのじょね~」
「…あ、国分さん?TOKIOの?こくぶん、ね。しかもaikoね、それは。矢井田瞳とか知ってる?」
「あー、しょうわのひと?」
「うーん、昭和生まれだろうけど…まぁいいや。なんか適当にかけるよ」

 どうも噛み合わない。それも当然だが、この子はこの子で円ちゃんとは違う取っ付きにくさがあるような気がする。

「円ちゃん、向こうではどんな感じだったんですか?」
「あんなかんじです。いつもあんなかんじ。あかるくっていいひと」
「そうなんだ。学部が同じだったとか?」
「はい。えいごのクラスいっしょでした。はじめてあってびっくりした。とてもそっくり、わたし」

 
 そりゃびっくりするだろう。きっと円ちゃんも同じように驚き、インさんが驚いた理由以上に思うところがあってさらに驚いたであろうことはなんとなく想像できた。

「そうだったんだ。あー僕、円ちゃんと中学と高校が一緒で」
「ききました」
「聞いたの?」

 てっきり僕のことなんか話していないと思っていた。

「こころのこともききました。こころ、わたしにそっくりです」
「そうだね」
「なくなったの、もうずいぶんまえですね」
「そうですね、もう七年前になるかな」
「こころともなかよかったんですか?」
「二人共と仲良かったから。でもどっちかって言うと円ちゃんとはよく話したけど。心ちゃんは円ちゃんとよく話してた」

 今思えば彼女は少し引っ込み思案だったのかもしれない。姉の存在を介して、彼女は外の世界と接していたような気がする。

「まどか、わたしのあねよりわたしににています」
「お姉さんがいるんですか?」
「はい」

 そう言った彼女はその話をするのが少し辛そうに見えた。助手席の窓の外のどこまでも続く、斑に雪に覆われた枯れ草色の干上がった水田を見つめていた。風景は滑るように流れていく。

「まどかみたいなおねえさんがいたら、たのしかったとおもいます」

 僕達はなんとなく黙り込んでしまった。

 インさんの日本語は少したどたどしいが、完璧だ。「おねえさんがいたら」(仮定)、「たのしかったとおもう」(実現しない願望)、全てそのままの意味にとっておこう。車はいつの間にか市内に入っていた。

 上杉神社に到る参道を歩いていると、もう授業が終わったらしい高校生のカップルが、そこかしこにちらほらと見える。皆一様に細い眉、短いスカート、緩いズボン。

「もう少し雪が降るとね、この道に沿って雪の灯篭が立つんですよ」
「ゆきのとうろうですか~」
「そんで夜は蝋燭をその中に灯すんです」
「じゃあまたみにきたいですね~」

 その時は円ちゃんも一緒だといい…なんてことはもちろんインさんの前では言わなかった。

 上杉神社にお参りすると、今度

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