2014年2月4日(火)、雑記。

どうも、須貝です。

1月、年始以来の更新で恐縮です。今日はえらく寒いですね。足元に漂う空気が屋内でも冬のままです。

ささ、雑記です。ざざっと書きます。

・今年はインプットの1年にしようと思い、この1ヶ月ほどひたすら詰め込む作業に没頭しています。自分が駄目になっていきやしないかと不安もあったし今もあるのですが、容れた分、産まれるものもあるようです。いくつかの可能性のありそうな題材と、いくつかの使えそうな強さを持ったプロットと、やってみたい企画が溜まってきました。

去年がずっと出しっ放しだった印象があるので、まだまだこれくらいでは土が潤わぬ、もっともっとと欲が尽きません。

・何かの記事で、電車で中ほどに進む人が減ってきているというものを見掛けました。確かに。まだ乗って来る人がいるのに扉近くに陣取る人、この10年ほどで増えている気がします。

東京は都会ですから、人が冷たいとか無関心とか昔から言われておりますが、僕が上京してからのこの10年で、確かに人々の品位が下がってきているのかもしれない、と思いました。これはなぜか、考えてみました。

一番大きい原因としては、想像力がなくなってきていることではないか、と思います。

扉の近くにいられたら次に乗る人が困る、という想像に考えが及ばなくなっているからではないかなと、個人的には考えています。これは他の場面にも当てはまることで、なぜこんなことをするのだろう?ということの多くは、もしされた当人や見ている周りの人間の気持ちになったら絶対にやらないことです。言われたら当たり前だと思うでしょうけど、でもそれを出来なくなっている現実があるわけです。

駅で言えばもう一つ、傘の持ち方も僕は気になります。階段を上る時の話です。垂直にではなく水平に持って上る人がいますよね?あれは後ろを歩く人にとって非常に危険です。傘の先端が目の前まで迫るわけですから。子供の目に入ったらどうするんですか。

こういう場合僕や僕の友達のれお君はむんずと傘の先端を掴んで後ろをついて歩きます。それはそれで無礼かもしれませんが、こっちが危ないんだから仕方ありません。しかしこれ、気付いてなんだこいつと後ろを見る人もいればやめてくれる人もいる中で、意外と気付かずそのまま上りきってしまう人の方が多いんですね。これはつまり、自分の背後1メートル程度のことにすら考えが及んでいないということです。野生動物だったらアウトです。

気付かないというのは単に肉体的なことかもしれないのでちょっと話は違うんですが、この、想像力がなくなってきているということの、では原因はなんなんだろうとさらに考えた時に、これは月並みかもしれないんですが、ネットやTwitterの普及が関係あると思うんですよね。

今は知りたいと思うことをすぐに知ることが出来る。あの人は何をしているのか、それもおおまかにですが知ることが出来る。だから、これはなんなんだろうとかあの人は何をしているんだろうとか考える時間がほぼゼロに近くなってきている。情報の精度や伝達速度や範囲は格段に向上しているんでしょうが、それによって僕らは多分大事なことを失っている。

出した手紙が返って来るまでの1ヵ月間、その人のことをあれやこれやと考えることもない。湧いた疑問をああでもないこうでもないとこねくり回すこともしない。考えるという癖がつかない。それが想像力がなくなってきていることに繋がっているんじゃないでしょうか。

・去年買ったタブレットを本当によく使っているのですが、上記の話と関連して戒めていることがありまして、それは何かを調べる前に必ず自分なりの答えを1回用意するということ。

例えばなぜ東京には氷川神社が多いんだろうということを調べる時に、もしかしたら廃仏毀釈の時に寺だったのを全部氷川神社にとりあえず名前を変えて建物だけ存続させたんじゃなかろうか、だから今氷川神社という名前の所は実は全部元々寺だったんじゃないか、などと勝手に考えるわけです。実際は違うんですけど、ただ答えを見てへーそうかと思うよりも、一度自分の中に何かを用意してから答えを知る方が情報の身に付く度合いが変わってくるわけで。

役者をやっている時にも物を書く時にも思うのですが、一度自分の感覚を通り過ぎたものでなければ、実地では使い物にならない。感情が特にそうですが、情報も同じだと思います。

・またさらに関連して、情報の精度が上がっている分、今度は疑うということも少なくなってきてはいないかとちょっと思ったり。何かを提示された時、本当にそうか?と疑う所に人間の想像力があると思うんですよ。まぁ昔の人だってガセネタや嘘の情報に踊らされてたわけですけど。でもなんか、色々速い分、本当にそうかなって思う時間も短くなってる気がするんですよ、個人的に。

すぐ、多くの情報が手に入るので、今の世の中は全人口セミプロみたいな部分がある気がする。分かった気になっている。主張するツールも増えているので、自分が主人公の度合いも多くなっている。だから何かが起こっても、それを受け入れなかったり自分なりの理由を設けたりしている。それがどこかイガイガした雰囲気を街に与えているような気もします。

・最近子供増えましたよね。若い家族連れがね、増えた気がする。いいことっすね。前もこれ書きましたね。

数年前にフランスに行った後に日本に帰って来て一番最初に思ったことが、そういえばフランスで駄々を捏ねる子供を見なかったなということでした。たまたまなんでしょうけど。

向こうは礼儀作法とかテーブルマナーとかドレスコードとかしっかりしてるイメージ。これは内と外の感覚が強いからなんじゃないでしょうか。絶えず侵略が身近にあったから、その境界がはっきりしてるのかもしれません。

自分の家で駄々をこねたり泣いたりするのはまぁ当然として、それを外でもやるということは、外も内もあまり差がないということじゃないですかね?ということはそれを受け入れる公共の方にも問題はあるのかもしれません。

だから本当は駄々を捏ねる子供に対して、ここはお前の家じゃないぞと言ってあげなければいけないと思うんです。ま、実際あんまり言えないけどね。

・最近海外ドラマいっぱい見てるんですけど、話には聞いていたことですが、地下鉄のシーンなどで、隣り合って座るよりは立っている方を選ぶ人が多いんですね。っていうかそもそも椅子の幅がちょっと広い気がする。やっぱパーソナルスペース広いんすかね。日本にいるアメリカの人ってそしたらすげーストレス溜まってるんでしょうね。

・アメリカンハッスルとRUSHとウルフ・オブ・ウォールストリートが観たい。

・マッサージか整体に行ってみたい。

・近々いくつか告知することと報告することがありますが、もうちょっとお待ち下さい。

・最近我が家に圧力鍋がやってきました。カレーを作ったら超おいしく出来ました。料理にハマりそうです。

・最近プロフィールをまとめ直すためにこのブログを4年分くらい遡って見ていたんですが、上で書いてるようなこと、もう既に書いてました。巡ってくるんですかね考えって。もしくは進歩がないだけだったりして。ちょっとでも前に進めていたらいいんですが。

・大きな流れの中で立ち止まって考えることは非常に難しいことですし勇気がいることですが、でももしそれが出来たとしたら、自分の周りに新たな流れが出来ると思うんです。そうなったら楽しいだろうな。楽しくなったら勝ちですよ。

2月はあっという間に終わっちゃうからな。ガンガン行こう。
皆様、体調には気をつけて。

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