愛されることを。

どうも、須貝です。

世の中のこと、自分の周りに起こることや自分を巻き込むことだけでなく、世界で起こるあらゆることは、きっとどこかでバランスを取り合っているのだと、暫く前からなんとなく考えて過ごしてきました。

その上で最近よく思うこと。全ての人に愛されるのは、大事にされるのは、無理なんだな。愛して欲しい人、憧れている人、そういう人に愛されたいけど、自分の気持ちの量に比例するものでもない。

別の誰かが愛され、気に入られ、使われていくことに対して、不満や悔しさや妬みや嫉みや怒りや悲しみや、そういう次々と湧きあがってくるどす黒い感情をどうやって切り離すか、または寄り添って生きていくか、そういうことを考えている。
愛された人はそれに値するだけの努力をして、仕事をして、真っ当にそれを得たということも分かっている。自分にそんなことを言う権利がないことも、身に滲みて分かっている。それでも醜いものは生まれでる。

でもそれは、僕の側のことでしかなくて、僕だってそれと釣り合うだけの、バランスを取れるくらいの、僕のことを愛し大事にして欲しかった人たちを切り捨てて生きているのだろうと思う。人のことは言えないわけで。僕だってどれだけの人の恨みを買っているか、分かったものじゃない。

自分の納得のゆく、理想とする道を行くためには仕方がなかった。なんでもかんでも受け入れられるわけでもない。それと同じことを、僕を捨てた人たちもやっているわけだから、それは同じ仕事をしている人間として理解しなければならない。

ないものよりあるもののことを見た方が絶対にいい。僕を大事にして愛してくれている人のことを大事にしなきゃ。

色んな罪滅ぼしをしながらそれでも、生きている限り止めどない罪と業を重ね続けて、いつまでもゼロにならないそれらが、死ぬまでにはなんとかなればいいなとも思うし、死ぬまでどうせ罪は作り続けるものだとも思う。あがなおうと思えば今の生活は続けられない。善行ばかりを積むことは出来ないのかもしれない。

例え間違っていたことがずっと後になって分かって、身を裂かれるほど後悔したとしても、どうか未来の自分、今を生きている自分を責めたり恨んだり憎んだりしてくれるなよ。もし少しだけそれがあっても、少しにしておいてくれ。あなたが納得するだけの誠意を持って生きるから。来た道を否定するのは辛すぎるから。

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