理想と現実の話。

どうも、須貝です。

さて、早速ですが、理想は持つべきだな、と、思います。

昨日チラッと書いていましたが、良い政治家とはどんな人だろうと最近考えています。

なぜそんなことを考えているかというと、僕を含めやはり日本の人たちは今の政治家の皆さん、ひいては政治とか国の先行きとかに失望、とでもいうか希望を持てずにいる、不安な状態にいる、信用できずにいるという状態だと思うんですね。色々、「それマジかよ」と言うような酷い事件やら不正やら最近は多くて、彼らの遊興費になるなら税金なんか払いたくないと言うのは至極最もであるとすら思える状況です。

で、そんな中で、政治家は信用できないとか、政治家には腹が立つとか、まぁ自分がって話ですが、そんな漠然とした不満のようなものを抱えたままで、じゃあ具体的に何がいけないのか、どうして政治家の信用は失墜したのか、日本はこれからどうなっていけばいいんだ、近隣の国とどう関係していけばいいんだというようなことどもに関して、自分が全く具体的な改善案を持っていないことに気づいたわけです。そんなんで誰かに対して不満を言うなんてどうも自分のことを棚に上げているようでちょっと嫌な気持ちになったんですね。

「日本の政治家は三流」なんて自虐したって別にそれが直るわけじゃあありませんからね。それで、まずどういう人に政治を司って欲しいか、ということを考えたわけです。

まず、実務をこなせる人。そらそうだ。でもですね、思うんですけど、色んな省庁を歴任して、っていう人いますけど、果たしてああいう人たちってちゃんと仕事分かってやってるもんなんですかね?その省庁の仕事に関する事柄のプロって人がトップになっているわけじゃないじゃないですか。それって大丈夫なんでしょうか。例えば文部科学省のトップの人って別に教師の経験があるとかじゃないですよね?農林水産省だって農業やってましたなんて人は絶対にまず政治家にならないし(いや、いるかもしれないけど)、そういうのって大丈夫なんでしょうか。それぞれの実際の所を知りもしない人がトップに行くって、大丈夫なんすかね。いや、大丈夫じゃないんじゃないでしょうか。

竹中さんが金融担当大臣・経済財政政策担当大臣を2002年にやってましたが、それはまあ、分かるんですね。あの人は元々経済畑の人ですから。あの人がやったことがいい悪いは関係なく。理解はできるんですね。
でも失礼ですが、何とか担当大臣といった、そういうのをしている方々の話を聞いていると、どうもそっちのプロフェッショナルと言っていいほどに思えなくて頼りないような…勉強はしてらっしゃるんでしょうが。
それなら何も議員じゃなくても本当のプロの方を呼んできた方がいいと考えるのは、まあ素人考えなんですかね。そう簡単なものじゃないだろうしなあ。

しかしですね、そういう大臣の中でも地位が高い低いみたいなのがあって、何とか大臣、何とか大臣、何とか大臣を歴任していくのが首相への道、みたいな事を言う人いるでしょう?そんなことはぶっちゃけどうでもいいんですよね。ちゃんと仕事するなら同じ仕事をまとまった年数するべきでしょう?それって普通の仕事と同じだと思うんですが、それを出世の度合いのバロメーターみたいに考えるのはおかしいんじゃないでしょうか。

それは大丈夫、結局トップの人は実務なんかしないから、ちゃんと仕事は変わらずに同じ下の人たちがやっているから、っていうことなんでしょうが(会社の社長と同じだと思えば)、それをはっきりと認めてしまうのもどうなんでしょう。いい企業ってやっぱり社長さんも(つまりトップの方も)元気なわけで、上の人がふんぞり返っている会社なんて、やっぱりその程度だと(僕はサラリーマンじゃないのであくまでそう思うだけですが)思うわけです。どうなんでしょう?

そして、さらに理想を持っている人。これは別に夢想家がいいってわけではないですよ。

ちゃんとした理想がある人っていうのはつまり、ちゃんと現実を見ている人だと思うんです。「理想」という概念が成立するのはつまり「現実」があるからで。「どうせそんなうまい具合には運ばない」なんてことをテレビで言っている議員さんがいますが、例えそうでもその実現に走るのがあなたたちの仕事だと思います。僕は政治をする人は理想家でいいと思っています。実務をこなせる人はいますが、国の指針たるべき理想像を持っていいのは上に立つ人の特権だと思うからです。

さっきから上とか下とか言っていることに反発のある人は多いと思いますが、やっぱり、僕は彼らを上の人間だと思っています。日本という国家を企業として考えるなら、主導して動かせるのはやっぱり彼らだからです。僕らは日本企業の平社員というわけです。だから彼らには理想を語って欲しいんです。「あれはできない、これはできない、難しい」なんて言葉は聞きたくないわけです。

「現実」ということの認識があれば自ずと「理想」が浮かび上がってくるものです。例えば今手元に五千円しかないという現実があれば、二万円あればいいのになぁという理想が生まれてくるわけですし。理想を人前で語ることができるというのは確かな現実への認識があるということです。理想があれば、後はそれをどう実現するか、いつまでに実現するか、などという議論に移ることができます。
目の前の実務を何とかこなそうと思っている内は、何をやっても誰も満足する結果を得ることが出来ないだろうと思います。行く行くは中国とも韓国とも仲良くやっていきたいという理想のために領土問題を論じるのか、それとも行く行くは中国も韓国も平伏したいという理想のために領土問題を論じるのか、その二つは大きな違いです。僕は彼らが描く理想の日本像を知りたい。

僕らもね、理想を持つべきだと思うんですよ。今って選挙に行かない人が増えていることが問題になっていますよね。でもそれが問題なんじゃなくて、選挙に行きたくなるような候補者がいないことの方がずっと問題だと思うわけです。僕らだって理想があるわけで、こういう人に議員になって欲しい、市長になって欲しいという人がいなければ、その時点で選挙に行ったとしても所詮は妥協なわけです。何度やり直してもいいから、理想の人が出てくるのを待つ、そんくらいの覚悟でいてもいいと思うし、逆に、この人がなってくれたら本当にいいんだという人がいたら、供託金を支払ってでも出馬させて応援すべきものだと思うわけです。

理想を分かち合え
るというのはいいことだと思います。時にそれが戦争を生んだりしますが。それは置いておいて日本という国に生まれたからにはこの国を世界最高の国にしてやりたいわけです。日本に住む権利として、僕は税金を払っているつもりです。それが見合っていると思える国にしていきたいわけです。僕がこんな所で理想を語っても誰にも届かないかもしれませんが、持っていないよりはましだと思うので今こうやって書いています。

別に愛国主義ってわけじゃありませんが。自分の国を愛することだって悪いことじゃないと思いますが。どうなんですかね。皆さんはどう思っているんでしょう。

日常においても理想はあるべきだと思います。それは目標ともまた違ったものだと思いますが。目標はなくても結構生きていけるものだと思いますが、理想がないのは行動や生活の指針を失いそうで恐ろしいと僕は個人的には思います。

決して青臭い話をしているわけではないんです。本当に、今だからこそそれが必要だと思うんです。

こんな話をしてみましたがね、時々真面目に書いてみようかなと思っただけのことでした。

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