例えばの話。

どうも、須貝です。

久々に昨日ブログを更新しましたが、ほぼ宣伝だったので、ここ最近何を考えていたか書きます。

Twitterもブログも更新が稀になったのは別に、時間がなかったわけでも言いたいことがなかったわけでもなくて、なんとなく気持ちが向かなかったからで。何かを発信し続けるということには、恐ろしい図太さがいるんだなと思うんです。誰しも批判に晒される恐怖に耐えている。もしくはただ無自覚に垂れ流すか。ただ脇を、構えを、甘くしているかということで。

最近街を歩いていると、電車に乗っていると、例えば誰かとすれ違う時に、道を譲り合うことが減ってはいませんか?老若男女に関わらず、俺の道をあたしの道を塞ぐなら塞げ、構わず行くわ、ぶつかっても文句は言うなよ、そんな言葉が聞こえてきそう。演劇をやっているから、誰が何を考えているか、体を見れば聞こえてきます。演劇をやっていなくたって、無意識に感じ取っているはず。あなたはあなたがあなただという理由で、誰からも許されるものだと思っていやしませんか?大きな間違いです。

自己主張という現象は、誰かたちの中でしかありえません。自己主張は、あなたが一番偉いということの証明ではないのです。Twitterを見れば、検索すれば、大抵の情報が出てきて、だから私はこの世の中のあらゆることを知っているし私以外の一般大衆のこともよく分かっているし、世の中はすべからく下らぬことの塊だとはっきり確認している。そうなんですか?本当にそうなんでしょうか?

目の前に転がっていることの全てを知っているわけでもないのに、よく偉そうに喋れますね。僕には恐ろしくて仕方がない。そうやって考えていくと、何を話すのも書くのもおっくうになっていくんです。それでも伝えたい何かがあった時に初めて、あらゆることをちゃんと知ってそれを書きたいと、話したいと思うんです。

アスファルト、どうやって作られているか知っていますか?原材料は?道路になっていく工程は?どこから運ばれてどのくらいもつんですか?
この川、どこから流れていてどこへ向かうのですか?誰が護岸工事をしていつ名前がついて周りの植物や泳ぐ鯉は誰が世話をしているのですか?
あの人、なんて名前でどこから来てどこへ向かって何をして生計を立て誰を愛し誰を憎み何を失って何を得たのですか?

世の中のこと、分からないことがほとんどじゃないですか?私の何を知っているのだ、私は誰よりも苦しんでいるのだ、そういうあなたは何を知っているのですか?

知らないことを責めているのではなく、知らないことを知った上で生きた方が良いのではないかと思うのです。

何かを書く時に、そういう、知らないことや分からないことに勝手に答えを与えてみたり想像してみたり予想してみたり、もしこうなっていたらとかああなっていたらとか結果を変えてみたり、そういう余地みたいなものが凄く大事だなと思うんです。本当のことを知っていたとしても、創作の上ではそれを大事にする必要もないし。

そうやって例えば誰かのことを考えると、誰のことも嫌いになれないんです。例えめちゃくちゃムカつく人でもね。あの人も家で猫を愛でたりしているのだろうかとか考えると、憎めないでしょ?事実はどうか知らないけど。そんな余裕もなくなったのでしょうか。

言ってること矛盾するんですけど、最近思うことの一つ。スマートフォン見ながら歩いている人たち、そんなに遮二無二情報を入れなきゃどうにかなっちゃうんですか、あなたは?家に帰ってからじゃ遅いですか?そのメール、そんなに早く返さなきゃダメですか?そのライン、ちょっとくらい放置してもいいんじゃないですか?誰かにぶつかってまで、誰かの道を塞いでまで、電車から降りそびれて扉に挟まれるまで、やらなきゃダメですか?まぁ例えば大事な内容だとしましょう。だとしたら、そんなに大事なら、腰を据えて対応したらいかがですか?ながらでやっていいんですか?僕は事情は知らないですけどね、だから批判出来ないんですけど。さっき自分でも知らないなら言うなって言いましたからね。でもこれはちょっと別問題だと思う。

僕は日本も東京も好きだから、嫌いになりたくない。僕は国粋主義者じゃないけど、国歌や国旗や日本の文化をちゃんと誇りたいし、近隣の誰かをさげすむことで自分の優位を保とうとするような、自分たちの方がマシだと安堵するような、そんなゴミ溜めのようなコミュニケーションはどうだっていいと思っているんです。ヨーロッパは、とか、アメリカは、とか、自分たちをさげすんでご立派な文化に迎合して、それで自分は後進国日本からいち抜けたなんて、そんな態度でもいたくないのです。今、何をすべきか、誰のためにあるべきか、見失いたくない。

そんなことを考えながら、自分が何を話すべきかとかどの立場を取るべきなのかとか考えていたら自然とTwitterやブログから遠ざかってました。そういう時期もありまさぁ。

今後どういう頻度で書いていくかは正直ちょっと分からないです。でも常に「やめ時」みたいなもんは考えています。やめたいわけじゃなく。自分の引き時はもっとくのが粋ってもんでしょうよ。違うか。

自分の作品に希望がなくなったら。誰かを変えることを諦めたら。自分をつまらないと思ったら。信頼する人にやめろと言われたら。例えばそんなことども。今までは運良く続けて来れたようなもんです。今後もやっていけるかは運任せ。良い風が吹くことを祈ろう。吹かなくても死ぬわけじゃないし。死ぬほど悩むことでもないし。所詮芸事ですから。それでも死ぬほど悩むのが芸事なんですが。

Previously