そんなに苦しまなくていい。気にしなくていい。心配しなくていい。

 

どうも、須貝です。
せっかくブログを新たにしたのに久々の更新です。地味にサイトを整え続けておりましたが(表示させたくない文字を消したり、httpsにしたり。素人だから時間がかかった)、やっと落ち着きました。Mo’xtraのHPも修正したのでよかったら見てみてくださいね。変える度にシンプルになっていきます。
僕の写真も撮り直していただきました。同じ山形県出身の写真家・坂功樹さんに撮っていただいたのですが、とっても素敵です。

書けなかったというか書かなかったというか、その理由を少し話します。今から僕が書くことは、もしかしたら若い方、今から頑張っていこうという方はあまり参考にしない方がいいかもしれない。今の自分の年齢やステージだからこそ考えることだと思うから。だから聞き流していただいていいし、同じくらいの年齢になった時に皆さんも改めて「自分はどうだろう?」と考えるだろうし、同じくらいの年代の方でも意見は違うだろうし、ただただ僕はこう思っているという、それだけのことだと思っていただければ。まあそれがブログってもんですけど。何かの参考にはなるかもしれない。

まず一つ目の理由として、忙しかったから。たくさんの方と会って次のためのお話をして、仕事と関係なくお酒を飲んだりお茶したりもして、脚本を書いてプロットを書いて、映画を観て美術館に行ってお芝居を観て、稽古場に行って買い物に行って、そういう日常の諸々をこなしておりました。このブログは定期的に書くことを既にあんまり目指していないんですが、書くための時間を毎回結構多く取ってしまうので、そういうスタイルも相まって書きませんでした。大体どの記事も一週間から二週間かけて書くんです。まず勢いである程度書いて、これでいいのかな、この言い方は強い、誤解を招く、などと推敲しながらちょっとずつ書いて、もう大丈夫だなと思ったら出す、みたいな。感情や勢いに任せて書いたものをそのまま出さないようにしないとな、という。逆に、書いている途中で勢いがなくなったものはそのまま出さなかったりします。だから昔に比べるとたくさん書けなくなりました。

二つ目の理由として、書く必要を感じなかったから。Twitterも宣伝以外ほとんど更新していなかったと思いますし(宣伝は本当はもっと頑張んなきゃです。すみません)、Instagramも見るのはたくさん見ているのですが、自分が更新する方は思い出すように、という感じで。俳優だったり自分の企画だったりをやっている時は頑張んなきゃと思っていたのですが、ちょっと今は違うからということもあるのかもしれない。
言いたいことややりたいことは全て作品でやればいいなという、幸せな環境にあるからだとも思います。SNSで自分を頑張って発信しなくてもということなんだろうし、元々僕にとってはそういう必要に迫られたツールだったんだなという気付きもあったし(いやあ、自分のことを皆に話すのも楽しいけどね!聞いてほしいし)、年齢を重ねたからかもしれませんが、別に俺の日常なんか知らんでもええやろ、みたいな気持ちもあります。

三つ目の理由は何か書くと何か言われるかもしれないからです。実は一つ前にこのブログで別の文章を書いているのですが、それに対してコメントがありまして、個人としてどういう主張があってももちろん構わないのですが、比較的強い言葉だったので完全に心が参ってしまい、発信することが全体的に少なくなっていたのでした。かつそれはある程度の期間いくつかの方法で続いていた一連の出来事の流れの中にあったので、もうやだなと思って何も言わずにおりました。

「物書きとしてそういうことには折れずに自分の表現や文章を出していくべき」と言われるかもしれません。ブログで書いていた記事に関しても消すべきではなかったかもしれませんが、僕は普通に怖かったし、半年以上苦しい思いをしているし、いまだに、これを書いている今も普通に怖いので、先方がどう思っていようが僕にとっては恐怖でしかないです。先方のご主張を否定しているわけではなく、手法や言葉の強さが僕にはとにかく恐ろしかったです。当然今までも様々な形で、口頭やアンケートやネット上でご意見をいただいてはおり、別に批判されることに慣れていないわけではないと思うのですが(そしてそういう批判はあってしかるべきだし、それらを拒絶するつもりもないです)、初めてのパターンで面食らいました。

しかし、その方はご自分のお名前やご職業なども完全に明らかにされた上で仰っているので、いわゆる顔を隠した卑怯な誹謗中傷ではなく、心からのご意見なのだと思います。
ですし、これは僕の立場から言っていることなので、僕を知る人は僕に味方してくれるかもしれませんが、あまり安易に僕の言うことも信じないでほしいです。僕自身、僕が正義だと思っているわけではありません。そもそもそんなものは存在しないし。ただたった一つ、「僕には無理だ。だから自分を守らなければ」、そう思っただけのことです。

当時一連の投稿を見ていた他のお客様からご意見をいただきまして、僕をご心配いただく声と、かつ作品への温かなご感想もいただき、とても救いになりました。この場を借りてお礼を申し上げます。自分に耳障りのいいご意見だけを聞いていてはいけないのですが、そうだとしてもとてもありがたく思いました。これからも創作を続けたいと思っています。

……などと言いながら、実は今年の四月頃は今の仕事が終わったら演劇を辞めようと思っておりました。デカローグも決まってはおりましたが、他の方に任せられないだろうか……とかなり本気で考えておりました。先々の他のお仕事に関しても、今ならまだ誰かに振れるのでは……と思っていました。
結構定期的に辞めようと思ってはいるので(このブログでも何度も言ってる気がする)、そのこと自体は別になんてことはないのですが、今回はかなり本気で考えていました。次の職のための資料を請求したりしてましたね。妻に仕事に関する相談をすることは滅多にないのですが、多分初めて「辞めようと思っている」と口に出して話しました。この業界にいらっしゃる方はわりとそうなんじゃないかなと思っているんですが、二十代後半くらいから多分毎日辞めることを考えています。
それでもどうして続けているのかというと、まあいつでも辞められるしな、引き継ぎもそんなに多くないし、一般の会社員の方よりもハードルは低いぜ、という思いから、じゃあもうちょっと続けてみるか、という流れになることが多いんですね。そして毎日「あれをやってみたい」、「面白いことを思いついた」、「あそこの台詞はこうしてみよう」、「あの人とご一緒したい」などといったプラスの何がしかもあるからです。仕事仲間と話していると楽しいし、お客様の声も励みになります。昔の自分の文章や動画で話していることなども助けになります。だから、二十年辞めずに続けられています。他の何も長続きしなかったのに、これだけは続けられています。これしかできないのかもしれません。


俳優の三津谷亮さんが芸能活動を引退されました。彼のことはずっと知っていたし拝見していたし、今年の四月にやっとご一緒できたのもとても嬉しかったです。一番最初に思ったのは、みっちゃんが生きることを選んでくれてよかった、本当によかったということでした。稽古場で色々お話しましたが、僕は彼に具体的に何があったか知りません。ここで名前を出す権利が僕にあるかも分かりませんが、とにかくよかったと思いました。また一緒にやれないのはとても残念だけど、もしこれが何か違う知らせだったら僕は、今度こそもう耐えられなかったろうなと思いました。自分本位な考えなのですが、正直そう思いました。きっと様々な要因があって色々なことを考えての決断だったと思うんですが、決まっていた舞台を降りてでも辞めるということは、ほんの少ししか知らないけど彼の仕事ぶりを考えるに、本当に考え抜いてのことだったんだと思います。

二番目に思ったのは、また何もできなかったな、ということでした。当たり前ですが何かできるほどの影響力を僕が彼に持っているわけではないので、そんなことを思ってもとは思うのですが、やはり、何もできなかったなという気持ちがありました。何かできたかなという気持ちもあり、この気持ちはこれからのために取っておきたいなと思います。行動に移さなければいけない。

多分彼を攻撃していた人たちは、彼だったら何を言ってもやってもいいと思っていたんでしょうね。もしかしたら彼の活動のことなんてよく知らなかったのかもしれない。スマホでゲームするみたいに気軽に(もちろん本気でスマホゲームやってる方もいらっしゃるけど)、ストレス発散の一環みたいな感覚でやっていたのかもしれません。僕に対するものだって、僕が若手で(もう三十八歳だから全然若手じゃないけど)、無名で、学歴が自分より下だから、だから何を言ってもいいと思ったのかもしれない。もし僕に権力があればこうはならなかったのかもしれない。じゃあ権力があればいいのかというと、まあそうなのかもしれないけど、でも結局そういうパワーゲームをどっかでやめましょうよという話をしているわけで、それじゃあ意味がないんだと思う。権力はあるに越したことはないと思うけど。

みっちゃんがどれだけ頑張ってきたかとか何を考えているのかとか、僕が何をやってきて毎日何をしているのかとか、そういうことの全てを知っているわけでもない人に何を言われたって、僕はなんてことはないと思う。お褒めの言葉に対しても同じことが言えてしまうんだけど、そこはほら、褒めてもらった時に、「ああ、この言葉に見合えるように、もっと頑張ろう」って思えるからさ、プラスだと思うんです。マイナスな言葉ってなんの意味があるんだろ。僕には分かりません。

だから、そんなに苦しまなくていいし、気にしなくていいし、心配しなくていいと思う。思いたい。こう書くことで救われようとしている自分がいる。でも僕は今の自分をどう考えたって誇りに思っているし、僕という人間は、僕が最高に面白いと思うものを書ける世界で唯一の劇作家だし。その考えは拭い去れないし、誰にも奪わせたくないな。
子供の頃からずーっと頑張ってきたみっちゃんにはちゃんとした土台があって、その上に建つ家はきっと住みやすい、いい家なんだろうなと思ったりします。これからもずっと応援しています。


ここからちょっと違う話をします。

誤解のないように言っておくと、僕はめちゃくちゃ頑張ったり無理したり損したり失敗したり苦しんだり気にしたり心配したりって経験は、絶対的にあった方がいいと思っています。しかもできるだけ若い内にあった方がいいと思う。だから上で言っているようなことを若い内から参考にし過ぎるとそれはそれでどうなんだろう、と思ったりもする。特に芸能の世界は他からの評価が絶対的に重いので、自己評価がどれだけ高くても難しい気はする。売れてなんぼみたいな側面は残念ながらこれからもなくならないだろうと思います。
十代の自分がめちゃくちゃ勉強してくれたから今の自分があるし、二十代の自分が迷走したから今の自分があるし、三十代になる前に「このままではダメだ」と思って方向転換してくれたから今の自分があるし、そういうことの全てが必要だったと思っている。スマートに生きるってのは基本的に無理で、何にも挑戦せずに、自分の範囲の外に何かを届けようとせずにスマートであるということは、それはスマートではなくてただ狭いだけなんじゃないでしょうか。不必要に傷付く必要はないし、自ら不幸になる必要はない。辛い思いをし続けることはないし、当然のように避けていい経験もある。そういうことは僕らが絶対になくしていくし、自衛の手段も是非持ってほしい。それとはまた違う話として、若い方にはやっぱり挑戦していってほしいし、そうできるようにどんどん今を整えていきたいと思っています。

(余談だけど、だから若い俳優さんで、「私はお客さんは呼ばないし私が頑張って呼ぶ必要はないと思っている。私の評価は私が決める。私の価値はそこにはない」みたいなことを思ったり言ったりしてお客様を呼ばない方は、ちょっと考え直した方がいいと思う。趣味でやるにしてもそのスタンスは変えた方がいいんじゃないかなあと僕は思う。あなたを否定しているわけではないです。あなたの価値をあなたが信じることはとても素晴らしいと思う。でもその外にもあなたへの評価があることは忘れないでほしい。大抵の現場が、あなたを信頼する根拠を分かりやすい数ででも欲しているんじゃないだろうかと思います。
そしてもしかしたら、「私は売れなくてもいい」と思っているかもしれない。それはそれでいいと思う。でも多くの人の目に触れたり多くの方とお仕事して始めて至れる部分もあると思うので、売れてみてもいいんじゃないかな、一度その努力をしてみてもいいんじゃないかな、と僕は思います。ちなみに僕も二十代の頃は別に売れなくていいと思ってましたけど、続けるに従って、やりたいことが増えてやってみたいことが増えるにつれて、カッコいい方々に出会うにつれて、売れないとダメだなと思うようになりました。)


その上で今、僕は、「多分全員を変えるのは難しいだろうな」と考えているし、「それはもうやめてもいいな」と思っている。

まずこの、「変える」ってのがおこがましいんですけどね。自分が正しいと思っているからこういう発想が生まれてくるわけで、二十代から三十代前半の自分は「変えたい」とか「救いたい」とか「いい方向に進んでほしい」とか思っていた。今はそれがいかに間違っているかよく分かっているつもりだけど、そう考えたり思ったり感じたりしたこと自体は必要だったし間違ってなかったと思う。自分の正義が正義とは限らない、のはその時もなんとなく分かっていたと思うんだけど、それでも信じていたかった。世界をもっと良い方向に進めなければ、みたいなことは今でもたまに思うし、もしかしたらそれでもいいのかもしれない。でもこれだけ多様な今の世の中で、というか今までも多様だったんだけど、「多様だったんだ!」ってことに気付いた世界の中で、何か一つの正しい方向に人々が向かうってのはちょっとありえないなと思う。

「世界は誰かが変えるものではなく、追い詰められることで仕方なく変わっていく」、って話をある所で聞いたんですが、今世界を動かす可能性がある正義は環境問題とか食糧問題とかなのかなと思う。これらはもう明らかに限界が近く、解決が迫られているので。
そういうこととは別に僕が何を言いたいかというと、「変わりそうにない、変わりたくない人を変えようとする努力はもうしなくてもいいかもしれない」、「変わろうとしている人や変わることができそうな人に対して特に、自分の経験をシェアしたり考えを紹介したりしたい」、みたいなことを今は考えているし、実行し始めている。その判断を誰かに対して僕がやるというのが傲慢だなと思うが、自分の目を信じるしかないから仕方がない。僕が最早大きくは変わりがたいのと同じく(いつまでも変わり続けたいとは思うが)、既に自分のスタイルで強く生きてきてしまった人に対して、僕がいかに個人の力で働きかけても、大きく変わることはないだろうと思う。これは誰にとっても難しいと思います。

芸術的なことに全く興味がない人を振り向かせる努力は、僕の人生に残された時間を考えるとちょっと意味がないかな、と思っています。興味がない人もそれを必要とはしていないだろうし。今まで生きて来れているのだから、その方にとっちゃ大きなお世話ですよ。「演劇、ちょっと興味あるんだけど、何から観ればいいか分かんないだよね……」みたいな方を劇場に呼び込み、最初に触れるのに最高のお芝居を観てもらう、みたいなことには興味もあるしやる気も出る。アウトリーチする範囲を考えたいなと思っています。
でも、ある程度人生経験を積み、あるタイミングで急に変わらなきゃ、変えなきゃ!と動き始めた方と僕が出会えることもあるので、その可能性もゼロにはしたくないんですけどね。今年の一月から三月にDOVE STUDIOで経験したのはそういうことだった。今、社会人の方とお芝居を作るという企画を着々と準備しているんですけど、これはまさに「ちょっと興味あるんだけど……」という方と出会いたい企画になると思う。とはいえ、ほんっとうに興味がない人はそもそもそこに引っかからないと思うので、やはり、努力の方向性を考えながら活動しないといかんと思っています。

ちょっと違う話かもしれないけど、単発の演技ワークショップは引き続きやりますが、ある程度長期の演技ワークショップはもうしばらくやらないかなと思っている。三ヶ月とか半年とか一年とかのやつですね。それよりも自分の公演でオーディションして、声が届きそうな人だけを選ぶ方がいいかなと思っている。先に挙げたDOVE STUDIOのような、長期ワークショップの成果発表として公演があるパターンだと、教育と創作の両輪を一人でこなすのが無理、みたいな理由もあったりするんだけど、今の自分にできることとやるべきことを考えた時に、そんなことも考えたりしています。
もう少し具体的に話すと、先程権力の話をしましたが、権力があるに越したことはないとか言ってましたけど、僕もある層に対しては既に権力を持っているんですね。それを自覚しなきゃいけない。その中で創作と教育の両方を同時に担うと、俳優さんに苦しい思いをさせる可能性が高くなるので、それはしばらくやらない方がいいなと思いました。もっと上手に権力を使えるようになったらまたできるかもしれない。もしくは誰かと一緒にやれたらうまくいくかもしれない。

話を戻して、そういうことを考えていく過程で、SNSに段々興味がなくなっていっているような気がします。溝がある人との溝を埋めようと思わなくなり、個人よりもシステムを変えることに興味が湧いてきたのかもしれない。そんなに苦しまなくていいし、気にしなくていいし、心配しなくていいと思えるようになりつつある。批判もあるかもしれないけど、自分がいつどのステージにいるかなんてことはもう自分で決めていいだろうと思う。他人に決められることでもないと僕は思います。不安になったら信頼する人に相談する。見ず知らずの他人に、ではなく。

何度も言うけど、僕は、全ての人を変えようとするとか世界中から認められようとするとか、あらゆる溝や分断をなくそうとするとか、そういう段階は必ず踏んだ方がいいと思っている。なぜなら実際にそれができる人や集団が現れる可能性は将来的には必ずあるからです。絶対にある。それを追求する努力は絶対にやめない方がいい。理想は追った方がいい。
でも僕にはできなかった。だからやめるという話をしています。笑っている人が笑っていると疑わなかったり、泣いている人が泣いていると信じきっていたり、皆自分と同じ人間なのだということに気付けなかったり、自分さえよければいいという態度だったり、そういう想像力の欠如みたいなことには付き合えないし、弱い自分を守りたい。もちろん聞く耳は持つけど、必要以上に持つことができない。歳を取ったんだと思う。だから、若い方はあまり参考にしないでほしい。

どう言ったらいいか難しいんだけど、閉じたいわけではない。狭めたい、のだと思います。閉じたくはないけど、聞きがたい言葉まで聞かなくてもいいかなと思っています。死にたくなってしまうので。幸せに死にたいので、そのために生きたいなと思っている。誰も僕の生き方に責任を取ってはくれないわけだから、今の僕が求める方に舵を切り続けていいのかなあと考えています。不安に思いながら、ですけど。

 

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