人間の質


どうも、須貝です。

本番まであと一日となりました。
お台場側のやる気のなさやらバタバタした部分やら、その他制作面の不可解さなどで苦汁を舐めることの多い我々ですが、不満を抱いていても始まりません。やることをやるだけだぜ!と意気込んでいる今日この頃です。

更新が一週間ぶりになってしまって申し訳ありません。

さて、現在は稽古場と家との往復です。実際の会場となるお台場の現場にも入っております。普段自転車でほとんど行動していますが、電車に乗る時間が随分増えました。

電車に乗っていると大体台本を読むか、本を読むか、音楽を聴いていますが、稽古に向かう時は非常にボーっとしております。

稽古が終わって家に帰ると、ほとんど何もせずに寝ます。毎日へとへとです。運動不足のせいで全身筋肉痛です。そして昼前に起きて準備をして稽古場へ向かいます。この電車に乗っている時間はとても貴重な時間です。が、何もしないのが好きです。

その何もしない時間で何をしているかというと(矛盾してますね)、人を見ています。ただ漫然と見ています。時々考えます。

なぜヘッドフォンからシャカシャカ流れている音楽はいつも、「お前一体何を大音量で聞いてるんだ?」って感じの趣味悪い音楽であることが多いんだろうとか、何聞いてんだって隣見てみたら、iPODでアニメ観ていて「何だこいつは」とか、そんなことを考えています。

昼時の電車は人が多いのですが、人の多さのせいか、どことなくホームも車内も殺伐としています。肩がぶつかっても気にしません。降りる人のためにも道を開けません。中学生が集団で騒いでいても注意しません(僕もしませんけどね)。

一日生活していて、他人に親切にされたり、逆に誰かに親切にしたりということがとても少なくなってきたような気がしました。そういった光景をあまり見なくなったような気がしました。
代わりに、誰かと誰かが睨み合ったり、争ったり、無視し合って険悪になったりしている様子を非常に多く見るようになったような気がします。気のせいかもしれませんけど。

なんだか、今僕らが暮らしている世界が、あんまり美しくないなという気がしました。

何を甘いことをと言われるでしょうが、人間の質というものは変っていくものです。質が下がれば、生活や文化は荒廃するものです。今の僕らの生活は過去最高の便利さの上に成り立っていますが、便利だから人の質は良いかというとそうではないし、平和だから人間の質が良いかというとそうでもないのだと思います。

慢性的な荒廃にあるのかもしれないとも思うし、戦争が起こらないのではなくて、戦争になっていないだけなのかもしれません。それを履き違えるのはとても恐ろしい気がしました。

社会に出てまず気が付いたのは、放っておけば誰かが何とかしてくれる、自分のために何かやってくれる、なんてことはないのだということでした。僕にとっては。それはもちろん元々実感としてあったのですが、さらに逼迫したというか。

誰かが利益からではなく何かをしてくれること、逆に自分が何の利益も得ずに誰かの利益になることをすること、それが豊かさなのだと思います。それは利益ではない余剰の部分だから、その余剰があることが豊かだというか。

心の豊かさなんて言うと陳腐なので言いませんが、豊かさの質もあるものだし。言葉にすると薄くなりますけど。

ついこの間、『百年の孤独』をもう一度読み直して、読み終わりました。この物語はマコンドという架空の村を舞台にした、ブエンディア一族の興亡の物語なわけですが、二度目に読んだ印象はまた違って、面白かったです。
その中に、「人間の質が変わった」という表現が何度か出て来ます。「時間が堂々巡り」するという表現もまた、多く現れます。

百年かけてゆっくりと、しかし確実に、止める術も無く荒廃に向かっていった一族の話ではありますが、なぜか今自分が暮らしている世界のことを考えてしまったのでした。

堂々巡りして巡ってくるはずの滅亡が、ダラダラと延期されているような気がしました。

Previously