どうも、須貝です。
『Wannabe』初日終えてきました。疲れたー。皆油断してるとすぐ席なくなっちゃうよ!!前半まだまだおススメです。席あります。
世間は今恐らくサッカーに夢中状態でしょう。テレビのない生活を始めて1年ほどになりますが、今ほどテレビがないことを悔やんだことはない。結果だけ知る虚しさよ。
先日Twitterを始めましたが、面白いっすね。なんか皆何考えてるか分かるし、チャットみたいに話せるし。こういう繋がるツールが求められてる現代って、なんか凄く面白い気がするんです。
人は、基本、繋がりを求めて生きているもんだと僕は思います。
繋がりって何もプラスなイメージだけじゃないけど、例えば喫茶店で店員に絡むサラリーマンも彼らなりに繋がろうとしていて、誰かに怒りをぶつけるだとか文句を言うだとかそういうことも繋がりの一つで、人間が嫌いだったらそもそもあらゆる繋がりを避けるはずで、人が関わるあらゆることが、結局繋がりを求めている行為なんじゃないかと、最近は思っています。
演劇しかり映画しかり絵画しかり。あらゆる芸術活動。コミュニケーションツール。誰かに向けて自分の意見を発するという行為。今こうして書いているブログとか?繋がり方に違いはあれど、人は人と関わり続ける限り、繋がりを求め続けるものなんじゃないかと最近思っているわけで。
昔の人たちにとっては闘うことすら繋がるための手段だったんじゃないだろうか。異国の文化に触れるわけですからね。言葉も文化も違っても、命が一つという事実は同じ。負ければ領地を失うという事実も同じ。未知だからこそ闘わなきゃな感じ。ある程度の情報が揃った上で闘う今の戦争とはまたちょっと違った意味合いだったのかなとも思います。
何が言いたいかってーと、あらゆる行為が基本的には繋がりを求めていることだとしたら、たいていの場合人を許すことが出来るなーってことで。理解も納得も出来るなーって。皆寂しがり屋なんだとしたら、守ってあげてもいいじゃんなんて、思ったり。
「関係ない」なんて言葉は、ほんとに、マジで、ないんだなと思うこの頃。色んな人と、あらゆる繋がりをもたらしてくれる現場を、とても大事にしてます。
別にひとくくりに出来る話でもありませんが、とにかく繋がりってことを最近考えてます。人と人との繋がり方の違いや繋がりの求め方の違いなんてことがとても面白くて、様々な行動を繋がりという言葉に変換して考えています。
あらゆるツールを、皆いっぱい使っていったらいいと思う。僕の場合、ブログとかツイッターとか使えば使うほど、実際にその人を目の前にするコミュニケーションを求めるようになった気がする。簡単に繋がれば繋がるほど、より濃い繋がりに飢えていくんです。これってそんなにおかしいことじゃないと思う。
簡単にコミュニケートできることを頭ごなしに否定する人もいるかもしれないけど(まぁいないかもしれないけど)、いいじゃん繋がっときゃ。きっと悪いことないよそんなに。時々煩わしくなるかもしれないけど、そんときゃ逃げりゃいいんだから。
てなことを考えています今日この頃。10月頭まで休みなく演劇漬けだ。考えることだけは、止めないようにしようと思います。