どうも、須貝です。
特に何か書くことがあるわけでもなく、振り返るシリーズももう力尽きてしまったのでいいかなーと思いつつ(ひでーな)、結局僕は日々をいつも通りに生きております。最近は思ったことはすぐツイッターに書いているので、じっくり時間を掛けて書くことが多いブログの方はおざなりに。いやーいかんいかん。9月に入ってもう3日も経ったのにまだ何も書いていないのは流石に…と思ったので、とりあえず更新します。今回はそんな自堕落な感じでお送りします。
最近の自分のことを省みた時に、仕事面での充足が半端ないなと思いました。いや、まだまだ貪欲に上を目指していっているわけではあるんですが、ようやく、ようやく色々なことが繋がり始めているような、そんな感覚です。少しずつ公にしていけると思うので乞うご期待。…多分ご期待。
自分に限らず、というか自分以上に、最近自分の周りの人たちにも色々な仕事が舞い込んでいるようで、「あの人がこんな所に…!!」、「この人とこの人が一緒に…!?」など、驚くことが多いです。やっぱり25歳近辺の年齢って、仕事として一区切りが付き始める所で、明暗が分かれていく二番目くらいのターニングポイントなんでしょうね。っつーことは今が正念場だな…得られるものは全部得ていかないとな。
反面、お芝居をやめていく方も多くて、今年だけでもう何人か、結婚や就職などの理由でやめていかれる方、また突然連絡が取れなくなる方が多くて、寂しい。というか連絡取れないあなたは心配なので連絡下さい。
しかし実際、連絡が取れなくなる、ということ自体はそれほど心配してないんです。なぜかと言うと、演劇の繋がりを残しておくとまたやりたくなっちゃうので、すっぱりと切るんですね。その気持ちすげー分かる。俺がやめる時でもそうするね。一切の人間関係を一遍に切ってやめるだろうね。いや、出来るかな…?それ寂しいな。こんなこと言っといていざやめる時に盛大に送別会とか開いてもらってたら情けねぇと笑って下さい。
しかし今は、自分がお芝居やっていない状態は1mmも想像出来ないな。想像出来るけど、その俺なぜか棺桶に入ってるな。
以前身近な方が家庭の事情などもあり一時演劇から距離を置く、ということになった時、僕は、「あなたの出来なかった分を僕に背負わせてください」みたいなことを酔って言ってたんですね。くせーこと言ってますが。んでもこれは本心で。
自分が好きな(好きじゃない人は別にいいんです)役者さんなりスタッフさんなり作家さんなりがこの世界から去っていく時、否応なくその人たちの生霊みたいなものを背負わなきゃいけないような気がしてくるんです。だってそうじゃなきゃ悲しいじゃないですか。
この世界のどこかに爪痕を残そうとやってきたことを、無にしてしまうのは寂しいじゃないですか。叶わなかった思いや夢やその他の何かしらを、女優と結婚するとかアイドルと付き合うとかそんな馬鹿げたもんまで全部含めて、残った僕が背負ってやりますよって言い切るくらいじゃなきゃ、その人も心置きなくやめられないってもんですよ。男気の話ですよ。
そんでもってその時さらに、「でも僕は、あなたの戻るべき場所をもっとおっきくして待ってますから」みたいなクサいこと言ってました。冷静に思い返すと一体何言ってんのか分かんないんですけど。青かったんですねー昔は一応。でもそれも本心。待ってますよ。いつでも戻ってきて下さい。
チャンスの神様には前髪しかない、というたとえ話が全っ然センスなくて僕は好きです。演劇のチャンスの神様は100mを9秒フラット、かつジグザグに走り抜け、髪の毛は3本くらいしか生えておらず、さらにアマゾン川の流域面積くらいの広さのどこかにどうやら一人いるっぽい、という恐ろしい奴。ある種ポケモンのレアな奴。なかなか捕まらない上に髪の毛全部抜けちゃうと死ぬっていう面倒くさい奴。こと芸術に関しては、必死に走っても常に気を配っていても、チャンスの神様にすら会えない可能性がある。だからもし見つけたら、しがみついて一緒に走るしかないんです。奴は速いですよ。それこそ命を懸けないと一緒にはいられない。
自分は舞台に立つことを許されている。最近やっとそう思えるようになりました。やっとそのレベルに達せた。…達してるかな?まぁ多分。
確固とした事実として、立つことを許されなかった人たちがいるんです。そして舞台って確実に、許されなければ立っちゃあいけない場所なんです。それを常に肝に銘じていたい。
そして許されている内は、存分にやりたいもんですな。