普通の日々

十一月は自分の誕生月なのに、こんな更新が滞ってしまった…

誕生月ってのは別に関係ないんですけどね。

同期の小崎君に早く更新しなさいよとはっぱをかけられ、「でもネタがないんだよ」と切り返した僕。「普通の事書けばいいんじゃない?」と言われ、愕然とする。
そう、別に誰もネタを書くことなんて要求してはいなかったのだった!
ブログというものの在り方を根底から覆す言葉である。(いや、当然である)

ということで、少し日記的に自分の日常を振り返ってみたいと思います。

今、一人芝居の準備を着々と進めております。一日が四十八時間になればいいなんて誰か言ってましたけど。せめて三十六時間くらいになればいいなと思う今日この頃でございます。

ちょっと風邪を引いちゃって今日はマスクをしてチャリで大学へ行ったんですが、チャリに乗ってるときはたいていヘッドフォンで音楽を聴いてます。
…で、気付いたんだけど、今の自分の動物具合、相当低いんじゃないかな、と思ったわけです。まず僕はかなり目が悪いんでメガネをしています(視覚)。さらに風邪で鼻が利かなくって(嗅覚)、口もマスクで閉じてて(味覚)、音楽聴いてるから耳は塞がってるし(聴覚)。服だって着てるし(触覚)。

人間って動物の中では限りなく野生から遠い存在だと思います。目が悪かったら獲物も敵も見えないわけだし、鼻が詰まるのも同じことで、口だって犬が舌を出してハァハァ言ってるのは温度を測るためだとか何とかいろいろ理由があるらしいし…毛は感覚器官が延長しているもので、毛が多いほうが守られているというか、危険や外界に対する察知のスピードが相当上がるわけです。(一度やってみたんだけど、指で蜘蛛の糸を触ると、そこに糸があるという感覚がないんだけど、手の甲とかの毛のある部分で触ったほうが糸の感触が分かるんですよね)
髪の毛が薄くなるのは、野生への反抗か…?と言われたら分からないけど。(薄くなったらそう言うと思う)

てなことをチャリに乗りながら考えていたわけです。そう思ったら急に恐ろしくなってきて。今自分に何かあったら絶対生き残れないのでは、と。自分に残されている動物並みにあるものって、性欲ぐらいしかないんじゃないかと気付いたときに、ショックを受けたわけです。(いや、性欲だって動物ほどはっきりした発情期が人間にあるわけじゃないし。若い頃がある意味発情期だと言う人もいるでしょうが)

いくら文明があるからって、逆に言えばそれが機能しなくなった時にどうなっちゃうんだろうとは思うわけです。

今回の一人芝居で扱ってる題材ってのはそれに近い考え方で、ヒトという種はもう機能的に進化することはないんじゃないかと思うんです。例えば目がめちゃめちゃよくなったり、飛べるようになったりっていうことです。笑うかもしれないけど、今の種たちはそうやって進化してきたわけだから、人間がそうなっていく可能性だって本当はあるはずなんですよね。

SF小説で、未来人は頭と指一本しかないっていうのがあるらしいです。極端な話だと思うけど、ヒトにとってこれからの進化って、退化という形でしか存在しないんじゃないかなと思うわけです。それって考えると恐ろしいことで、例えば身体能力が下がっていくというようなことなんですけど、それはとても僕らにとって身近なことなんです。
陸上競技、例えば100m走なんかはどんどん記録が縮まってます。ほかの陸上競技なんかもそうですよね。でもそれはあくまで一部のプロフェッショナルの話であって、研究やら運動の用具やトレーニング法の開発なんかによるところも大きいと思うんですが、僕たち一般のレベルに話を戻すと、確実に運動能力は衰えているわけです。
中学生のデータなんかを見ると、平均身長は確実に伸び続けてるんですが、運動能力に関しては五十年前と比べるとやはり下がっているんだそうです。

文明、つまり人間の補助的な部分が発達すればするほど、人間自身の能力は下がっていくんです、当然。そしてそれはどうしようもないことなんですよね。

作品の中で取り扱う筋萎縮性側索硬化症(ALS)と言う病気ですが、実際にある病気で、最初に確認されたのが大体産業革命のあたりと重なるんですよね。偶然でしょうけど、作品の着想自体はそこから得ました。

未来人は脳が発達するから、頭が大きくて、物を噛まなくなるからあごが細くなるんですって。そして体の線自体も細くなるから、そのまんま、X-ファイルに出てくるような宇宙人のフォルムなわけです。

あれって宇宙人じゃなくて未来人なのかしら?いや、銀色のスーツを着たエスパー伊藤と、その親類でしょう。

結局、全然日常の話じゃないけど、これからの人間について実は考えてます。(誰にともなくアピール)

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