希望の在り処を。

どうも、須貝です。

やらなければならないことをどうしても先延ばしにする性格で、
今もやらなければならないことを先延ばして、この文章を書いています。
だからいつも終えるのはギリギリで、終わりが来るのをゆっくりと待ったことがない。
気付いた時には終わっていて、終わりに浸る間もなく次が始まっています。

そういうペースがすっかり生き方になってしまったようです。今では改善する気もありません。

こういう、先延ばし期間に色々なことが頭に浮かんでくることが多く、僕は僕なりにこの悪癖を大切に利用しています。
少し眠れなくなるので困りますが。

僕にとっては明らかなことが他の人にとってはいつまでも分からないことだったり、
逆に他の人にとって明らかなことが僕にとってはいつまでも分からないことだったりします。
その辺が個性とか生き方とかなんだろうと思います。
僕にとって明らかなことに関しては、他の誰に否定されようとなかなか簡単に捨てることが出来ず、
よくよく考えてみると捨てるつもりもないのだと気付いて、
勝手な男だ、人の話を聴きゃしないと嫌になりますが、信じてあげたい気持ちもあるのです。

現代の抽象画の大家にマーク・ロスコという方がいます。
彼は自分の作品を観る人に、「僕の作品を、色がいいとかデザインが素敵とかそいういう理由で好きだという人は、僕の作品を理解していない、僕の作品を観ない方がいい」といったようなことを言っていたそうです。
この話を聞いて僕は、なんだかよく分からないんですが凄く感動して、この人の絵を目の前にすると、素手で心臓を鷲掴みにされるような気持ちになっていたのですが、その理由が分かったような気がしました。
彼が彼の作品に込めた意味は彼にしか分かりようがないし僕らは分かった気になるしかないのですが、彼にとっては何よりも明らかなことだったのだと思います。
彼はその明らかなことをとても大切にした人だったのではないかと思います。

今、日本では色々なことが起こっていて大変で、多かれ少なかれ誰もが、居場所を失っています。
今までその人たちにとって明らかだったことが分からなくなってしまったり、明らかであることを重視し過ぎて逆に見失ってしまったり、してしまうことがあるようです。
皮肉ですが、こういう時に普段自分がどう生きていたかを知ることが出来るのかもしれません。自分の明らかさに常から正直だった人、自分にとって何が明らかかを自覚していた人は、今も以前と変わらないペースで生きているようで、どっしりしていて見ていて安心します。

取り戻すために、他に何を求めても構わないと思うのですが、結局自分の問題なので最終的には自分へ向かっていかねばならないのではないかと僕は思います。
困った時の希望の在り処を、誰かや何かに求めるのと同時に、自分の中にも求めるようにしたい。いつ求めても応えられる自分でありたいと思います。

よーし、そろそろやるか。先延ばしてばかりもいられないしな。

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