その時、僕が見た光景はまさに驚きであり、理解を超えたものだった。前からおかしいとは思っていたが、埋められかけたショックからか、田所さんはおかしさにさらに磨きをかけたらしい。
「フ、だからここらで人生を終わらそうと思ったのさ…」
野口のそのセリフを聞いた瞬間、田所さんは体をワナワナと震わせ始めた。人生をひねて考えまくっているくせに度胸もない口だけ男の野口に、心底怒りを感じたらしい。
「ここらで…？終わらそうですって…？…ふざけんじゃないわよ！」
とりあえず、僕は今までこんなに怒っている人を見たことがない。あまりの怒りに（どう考えても唐突だが）、田所さんは口の端から泡を吹いている。
これは田所さんのためにもちょっと止めた方がいいのでは…むしろ救急車に乗りそうなのは田所さんの方である。顔は真っ青になり、腕や足はもう軽い駄々っ子並にブンブン振られている。
「ちょ、ちょっと、田所さん！少し落ち着いて…」
「これが落ち着いていられますか、このトウヘンボクが！！」
わー、久々に聞いたよ、その言葉！
「大した人生送ったわけでもないくせになにさ！」
「なにさって…さっきまで田所さん、野口君を殺そうとしてたじゃない」
「ショック療法ってやつよ！殺すって脅せばいいかと思ったの！」
なんだそれ…
「でも今は本当に殺してやろうと思ってるわよ、この負け犬ダックスをね！」
ダックスフントがかわいそうだよ！
「いや、あいつなんかダックス以下よ、負けコッカスパニエルよ！」
また冤罪！ていうか田所さんの犬の上下の認識の詳細を知りたいよ！
「うるさい！好き勝手言いやがって！あんただって俺のこと脅そうとしたじゃないか！」
「あんたの曲がった根性を叩き直してやろうと思ったんだよ、このへちゃむくれ！」
わー、その言葉も久々！
「へっ、勝手に言ってるがいいさ、どうせ僕が死んだって皆四時間後くらいにはすっかり忘れて、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの話題で持ちきりになるんだ！」
ならないよ！古くない！？いつの銀幕スター！？
「知らないわよ、そんな映画『カサブランカ』で有名なお二人さん！」
知ってる！
「最初はお情けで助けてやろうとか思ってたけど、段々腹立ってきたわ…」
「お前のお情けなんかいるか！この先僕らの人生が何十年あると思ってるんだ？そんな長い年月を過ごす事を考えたら、僕は憂鬱でどうにかなりそうさ！」
なりそうさ？
「いいんだ！終わりだ！そうさ、僕は火星人なんかじゃないさ、いたって普通の日本人､それどころか埼玉県民さ！だって埼玉なんだもんの埼玉さ！」
さっきから全般的に古いな！
「ななな、なんですって…？このオッペンハイマー！」
もう意味が不明だよ！どこのテニス選手だよそれ！あぁ、僕のツッコミもなんか微妙だよ！
「この世に必要な人間なんて限られているのさ！どうせ人間は平等じゃなくて、勝ち組と負け組がはっきりといやがるのさ！そして僕は負け組さ！嘘っこきの負け犬ボーイさ！」
ちょ、ちょっと、皆、とりあえずもうちょっと落ち着こうよ…
「だからなんだって言うのよ！そんなの分かりきってることでしょうが！あんたが死んだら死体の処理とかで皆大変なのよ！」
あーぁ、言っちゃった…
「そもそも死ぬ理由が気に食わないわ！なによそれ！」
「うるさい！とにかくもう決めたんだ！死んでやる！黙ってろ、このオキャンピー！」
オキャンピー！？
その言葉を聞いた瞬間、田所さんは激怒した。メロス並に激怒した。ブルブル震えていた彼女の体はもはや、ブレイクダンス並に震えていた、いや、むしろ揺れていた。やばい。ここまでワナワナしている人は始めて見た。
「ワナワナ…ワナワナ、ワーナビー！！！！」
ワナワナ言って最後にワナビー！？何その怒り方！？
田所さんはそう叫び声を上げると、まさに猪突猛進、野口が危なっかしく捕まっている屋上のフェンスにもの凄い勢いでぶつかっていった。見た目に斜度が確認できるくらいたわむフェンス。叫び声を上げる野口。ほとんど空中に放り出されんばかりになったが、辛うじてフェンスを離さず、事なきを得た。
しかし田所さんも第二撃に備えてまたワナワナ体を震わせている。どうする？どうする！？次こそもうフェンスはもたない、いや､それ以前に野口がもたない。
その時、僕の目には、誰かがたまたまそこに忘れていったのであろう、手頃な太さと頑丈さを持っていそうなロープが飛び込んできた！あれだ！
…なぜそこにロープがあったのかなんてこの際深く考えるのはやめる。きっと誰かがなんらかのプレイをした後に置き忘れていったのだろう。きっとそうだ、うん。
僕はそのロープを手に取ると素早く輪を作り、頭上高く振り回して遠心力を付けると、一気に田所さん目掛けて放り投げた！
ロープの輪は見事田所さんの首に引っ掛かり、田所さんは鞭打ち的な衝撃を受ける！後頭部をしたたか屋上のコンクリートに打ち付ける田所さん！死んだかもしれない！しかし今は深く考えるのはやめよう。
僕はとにかく死にそうな顔をしてフェンスにしがみついている野口の元へ向かった。
～つづく～