あったら嫌な子供の作文。


どうも、須貝です。

本格的に梅雨シーズン到来ですね。今日サンダルで出歩いたら雨でビッショビショ。確かに靴下は濡れないけど…直足が濡れるのもそれはそれで不快です。

◎あったら嫌な子供の作文のタイトル

・『夏休みの初めてのけいけん』

・『新しいパパとゆうえんちにいったこと』

・『みょうじが変わってよかったこと』

・『さいきんのグラビアアイドルせいりょく図』

・『ぼくの夢~類稀なるエリート人生~』

・『パパの本当のおしごと』

・『母さんの体の痣が毎日増えている…』

・『実録!!小学生二十四時』

・『はじめてのおつかい~かぶき町~』

・『さいこうだったげき安ヘルス~かぶき町~』

・『ぼくの夢~せいぜい三年先までしか考えられない~』

・『冷や飯と大根飯にはもううんざりだ』

・『お父さんのもういっこのマンション』

・『ぼくの夢~十年後にまだ生きていれば上出来だ~』

・『ぼくのあだ名はからっぽ』

・『ぼくのあだ名はすっぴん』

・『お姉ちゃんのあだ名は穴』

・『お父さんの人望』

・『お母さんのあだ名は柴犬』

・『バベルをみて思ったこと』

・『しつ楽園を読んで』

・『もう本当に色々とこりごりだ』

・『五徹でフラッフラ』

・『どうして年金って払わなきゃならないの?』

・『強行採決ってそれ野党がいる意味あるの?』

・『政治家って何の仕事をしている人たちなの?』

・『将来は海外で暮らしたい』

・『大人は「記憶にありません」って言えば許してもらえるんだ』

・『もう恋なんてしない』

・『本当は温かい家庭を持ちたかった』

・『全て世間が悪いんだ』

・『パパもママも帰って来ない』

・『もう宗教に縋るしかない』

・『楽しかったけど何も出来なかった運動会』

・『泳げないから無理してはしゃいだ水泳大会』

・『「あの時、ぼくがもっと冷静になってシュートを放っていれば…」と今でも悔しくて毎晩夢に見るあの夏の球技大会』

・『ただいただけの文化祭』

・『本当に遭難したスキー大会』

・『タロが凍死した話』

・『ジロが凍死した話』

・『朝起きたらおじいちゃんが凍死していた話』

最近、電車の中や道端で小学生や中学生くらいの子供たちを見て思うことなんですが、子供が大人を怖がっていない。

逆に言うと、子供を叱る大人がいないのかもしれません。どんなに傍若無人に振舞っていても誰も注意しないから、それが悪いことだと思わない。

ドラえもんにかみなりさんって怖いおじさんがたまに出てきますけど、そういうおじさん的な人って絶対に必要なんだと思いました。

大人や子供っていう分け方がどうなんだって風潮になってきていて、個人主義やら個人の自由やらゆとり教育やらで子供たちの自主性を育てようなんて話になっていますが、彼らがこの社会において経験不足なのは確かな事実で、そこまでフラットにして話を進めるのはどう考えてもおかしいと。

人生の先駆者である人々が人生の後輩たちに「こうすればいい」、「ああすればいい」ってアドバイスしてあげるのって良くないことですか?
「もう子供じゃないんだから」って突き放してしまっていいんでしょうか(もちろん十七、八になった子供には言ってもいいと思いますけど)?

情報化社会がいくら進んだところで、たくさんの知識や疑似体験をしていた所で、子供は子供だと思います。

…と、今回のネタとは関係の話をしてますけど。

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