水は低きに。


どうも、須貝です。

最近よく、「水は低きに流れる」という言葉が頭に浮かびます。下へ下へと流れが向かう時はどこまでもずるずると簡単に下っていってしまうなと。

低い方に落ちていく方が簡単で、放って置くとその流れに流されてしまう。また、人と人との付き合いも、低い方へ低い方へと集まっていきやすく、そうなると連鎖して巻き込まれていつの間にか無気力で先のない集団が出来上がるような、そんな気がします。

今の自分を計るには、今自分がどういう集団の中にいて、どういう人たちと付き合いを持っているかを観るのが一番分かりやすい。

今僕の周りにいるのは、上へ上へと昇っていこうとする人たちばかりな気がして、それはきっと多分いいこと。もし今後自分の周りに自分が尊敬できない人たちが増えていったり、「こいつダメだな」と自分が思ってしまうような人が増えてきたら、それは自分自身も低きへ流れていっていることの兆候である気がします。常に周りの人たちに適度な劣等感を抱き続けるくらいが自分にとっては丁度いいのかなと最近思います。

流れ、という話で、いい時と悪い時の流れのバイオリズムのようなものは確実にあって、忙しく立ち回っている時には気に懸ける余裕もないような、「今はきっと色々なことが上手く作用しあっている」、「今はきっと何をやってもダメだろう」、というような、良し悪しの流れがなんとなく感じ取れます。

流れを読み、乱さないということがとても大事で、お芝居においては良い流れを作るのが難しく、その流れさえ出来てしまえばあとは勝手に流れていくものと思います。逆に短い公演期間の中で悪い流れに入ってしまうと、取り戻す前に公演自体が終わってしまうことも多い。悪く流れているからと言って無理に堰き止めようとすると、さらに悪く作用してしまうこともあって、なかなか難しい。

良い流れへの身の任せ方、悪い流れへの身の任せ方というようなものは確実にあって、それらは経験によって培われるものかなとも思います。

自分が「こうなるといいな」、「きっと大丈夫だ」と信じて疑わない時は、大抵その通りになってきたような気がします。それは運かもしれないし、信じることで自分が自然とそうなる流れを作り出しているのかもしれないし、自分がそう想うことで周りに影響を及ぼし、周囲がそうなる流れを作ってくれているのかもしれないし、逆に周囲の誰かが「大丈夫だ」と信じて疑わないでいて、その影響を自分が受けているのかもしれないし、様々要因はあると思いますが、何にせよ幸福なことです。

多少の浮き沈みはあれど、今自分は大局的に見れば良い流れの中にいると思います。逆に言えばこれで上に行けなければ、この先ずっと上に行けないような気がする。現在二十五歳。脳がピークを迎える年齢らしい。まだまだ超えるべき壁があり、それを超えるなら今だと思う。今ダメなら、きっと十年後もダメだ。

先日兄弟ブログの中で『幽遊白書』を取り上げたんですが、そのせいで無性にまた読みたくなり、結局買ってしまいました。作者の冨樫さんは連載開始当初二十五歳、終了時でもまだ二十八歳だったらしい。うーむ。

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