火星での生活・15

あ…なんか色んなこと思い出してきたぞ…

もしかしてこれって走馬灯のように思い出が駆け巡ってる状態?なんか近しい過去から思い出してるみたいだ。

さっきまでの屋上での攻防(田所さんは無事かな?)、裏山で田所さんを生き埋めにしそうになって(本当に危なかった)、野口の家で田所さんをビームサーベルで刺殺しそうになった(死ぬわけはないんだけど)…こうやって考えていくと一番災難なのは田所さん?そうかもしれない。彼女が生き残ってくれればめっけもんだ。

ゆっくり、まわりの風景が昇って行く。視界のほとんどは青い空。もうすっかり太陽も登って、今日もとてもいい天気だ。

僕の世界だけがおかしなことになっているんだ。

教室の窓から放り投げられた野口、汚いプールから引きずり出したり、そのまま手荒に保健室まで運んだりした。こいつのこと家まで運んだっけ。お母さんは凄くいい人だったな。

こいつが初めて教室に来た時の事、思い出した。急に火星人だなんて言って…皆すっかり信じちゃって、真島なんて宇宙飛行士になるなんて笑っちゃうよ。

嫌な奴だけど、こいつもそれなりに苦労したんだ。こいつもどうやら無事みたいだし、まぁよかったんじゃないかな。ぼくにしては頑張った方だ。もう諦めてさっさと下に落ちてしまおうかな。この世に未練なんて別にないや。

…と、思ったんだけど。

いやいや、ダメだ、ちょっと待って僕の走馬灯、もうその前の出来事は別に思い出さなくてもいいよ…

そうだ、これは野口が来る前の僕だ。

クラスではほぼ空気状態、いや、窒素状態、僕の存在なんて、本当に認知されているんだろうか?唐突に教室を出て行ったとしても誰も気付かないのでは…?

隣のクラスの田中には六小時代からずっといじめられている。

帰りにランドセルを持たされていたのが、いつの間にか昼飯全オゴリになって、奴の命令で女子トイレを盗撮させられたり、あいつが好きな美代子ちゃんに彼氏がいるか聞かされて、女子から変態扱いされたり…
挙句の果てに奴がちょっかい出した不良の親分が出張ってきたりすると、僕を大将扱いして自分はさっさと逃げて僕だけボコボコにされたり…

そうだ、中学の頃、三組の吉田には童貞なのに梅毒持ちってバカにされたっけ。

小学校の頃はなぜか僕だけ給食当番をやらせてもらえなかったし、例えやっても僕のよそった味噌汁は誰も食べようとしなかった。注意する先生も食べなかったのを、僕は見ていたんだ…先生は味噌汁が嫌いなんだって言ってたけど、味噌汁が嫌いな日本人なんているわけないよ…!(怒りのベクトルが違う気もするけど)

…なんだ、中学校だろうと小学校の頃だろうと、幼稚園の頃だろうと、僕の人生でいい時なんて全然ないじゃないか。
まさかこんなに輝きのない人生だったなんて。ここで死んだら、皆ネタくらいに思ってすぐ忘れちゃったりするんだろうな…。

僕はまだライトグリーンのフェンスにしがみついている。掴まっていると安心だ。

視界の端に、逆さまになって真島と島崎に両足を掴まれている野口が見える。助かってよかったね、泡吹いてるけど…

真島と島崎が驚いた様子で僕を見つめている。島崎が手を伸ばそうとしているようである。いいって、それに君が手を離したら野口が落ちるだろう?君たちは不良だけど、いい人たちだ。憎めない。最後にちょっと楽しい思いができた。

あぁ、本当に終わるみたいだ。さよなら、いや、グッバイ、僕の冴えない人生…

思い出したくもないのに、僕の脳は僕に、僕が経験した屈辱的な出来事ばかりどんどん思い出させていく。どうやら僕が地面に激突する前に、僕の経験の全てを見せ尽くすようだ。僕の脳まで僕をいじめるって言うのか…

不意に、それまでとは少し違う、何だかよく分からないくらいぼやけて古臭くて、少しだけ綺麗な思い出の一片が、僕の頭の中に蘇ってきた。

雨合羽を着た僕が、物凄い土砂降りの雨の中を一人で黙々と歩いている。

それは確か小学校二年生の頃、僕は近所でも有名な雨男で、その日も一週間前から楽しみにしていた遠足がちょうど台風の上陸と重なり、僕たちは出発はしたものの、途中で急遽引き返すことになってしまったのだった。おかげで早く帰れたんだけど、僕は全然嬉しくなかった。

雨はざんざか降ってるし、せっかく作ってもらったお弁当も、あまりの台風の激しさと唐突な訪れでパニックに陥った先生たちのせいで食べる機会を与えてもらえなかったし、せっかく苦心して300円以内に収めたおやつもほとんど食べてはいない。

こんな惨憺とした遠足なんてないよ。

まだ午後の2時だっていうのに外は真っ暗、道路の脇の側溝からは、収まりきらなかった雨水たちが凄い勢いで吐き出されている。

それでもやっとの思いで家に辿り着き、ドアを開ける僕。玄関では、すでに連絡網で事情を聞いていた母が出迎えてくれていた。

少し困った顔をして、よっぽど雨合羽を着て必死に帰ってきた僕の姿が滑稽だったんだろう、笑いたいんだけど、僕の悲しそうな顔を見て申し訳なさから笑えなくて、それでも抑え切れなくて半笑いになっている、そんな母の顔だ。いっそ笑ってくれ。

「ただいま」

僕の一言。

堪らず母が笑い出す。抑えようとすればするほど、大笑い。最初は泣きそうになるくらいムッとしたけど、つられて僕も笑い出してしまい、仕舞いには二人して大爆笑。ここまで不幸だと、笑うしかない。母は腹が痙攣するほど笑っている。そんなに笑わなくても…そう思いながらも僕は雨合羽を着たまま、呼吸ができなくなるくらい笑い出す。しばらく二人で大爆笑。少し収まってから母がようやく口を開いた。

「あんた、よく帰ってきたね」

そのまま二人してまた大爆笑。爆笑。爆笑。爆笑。爆笑。爆笑。爆笑。爆笑。爆笑…。

そうだ。あの時も僕は「よく帰ってきた」。

雨水が道路に小さな大洪水を作っていた。できれば(もちろん無理だけど)、そこに身を投げて死にたかった。でも「よく帰ってき」て、帰ってきてよかったって思った。死ぬほど笑って、それから、僕は、帰ってきてよかったって思ったんだ。

あの時、水溜りに身を投げていなくてよかった。おかげで、生きていてよかったってまた思える。心からそう思った。

…気が付くと僕は、保健室のベッドの上にいた。

~つづ
く~

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