お久しぶりの再会です。

どうも、須貝です。

SING!、絶賛稽古中です。もうほとんど席ないらしいですけど、金曜夜がおススメ!!青春っていいよね。

今日は久しぶりに、以前自分が書いた小説を読んでました。台本読む合間の気分転換に。
それって多分自分が初めてちゃんと最後まで書き上げた長編の小説で、もう一度書き直して形にしたいなぁと思って読んでいたのでした。5年ほど前に書いたものなので22歳の時ってことですね。大学卒業を控えてました。確か卒論と並行して書いていた気がします。お芝居の稽古もしてたから、随分エネルギッシュだったんですねー当時の僕。

きっとかなり書き変えないといけないだろうなぁと思って読み進めてたんですけど、当時の僕、意外としっかりものを考えておりまして、結構面白いなぁと、いや、内容が面白いとかでなく、僕が当時何考えてたのかってのが分かってね、面白かったです。書き直したら面白くなりそう。

当時突き当たっていたものとか悩んでいたこととかがあって、その中でも、耐えられるようになったこともあるしいまだに出口が見えずにいることもあるし。成長したのかもしれないし失ったのかもしれないし。

歳を重ねていくことって基本的にはいいことだと思っているんですが、それでも、その時でなければ抱けないこととか思えないこととか気付けないこととかってやっぱりあって、それを取りこぼしたくないので、コンスタントにものを書いているんだと思うんです、僕。感覚は常に新鮮に、しかし表現はより巧みに。今、5年前の自分を振り返って、客観的に分析することができる。書き直してより良く出来る。でも当時の印象、みずみずしさは失わない。そういうのがいいなぁと。

この間『浮遊』を終えて、観て頂けなかった方々に個人的に上演台本を送ろうと整える作業をしていたのですが、既にもう、書き直したくなっている。僕が書いていた頃の『浮遊』はきっともう終わって、新しい僕が始まっている。らしい。なんてことに気付きました。再演する時は多分、より強固な、打っても砕けない鉄のような脚本になっていることと思います。

昔自分の書いたものを読む、というのは、今の自分への手紙を、遅れてきた手紙を読んでいるような気分になってこそばゆいですが、身につまされるというか、しっかりせねば、という気持ちになります。過去の自分を失望させたくない。過去の自分に誇れる今でありたい。そう思います。というかそうでないと、生きているのが辛い。あまりにも辛いものになってしまいます。

当時の僕が何を大事にしていたのか。今もそれを大事にしているのか。今は他に大事なものがあるのか。
周りの人たちとどういうコミュニケーションを取っているか。大事な人はいるのか。大事にされているのか。

書かなきゃ、と、最近、追い立てられるように思っています。形に残さなければ。なぜなんだろう。そうでないと不安に押しつぶされそうだからなんでしょうか。でも、衝動があるということは、きっと書くべきで、そんな時に書いたものはきっと、後で読み返した時に新鮮な驚きや発見をもって甦ってくるような、そんな気がします。よし、だから書こう。

書く自分が世の中からどのくらい必要とされているのか、なんてことを考えていましたが、あまり関係ないのかもしれません。衝動があるから書くわけで。僕が納得できればそれでいいんだと思います。

しかし、演じる自分は仕事なわけだから、ちゃんと必要とされんといかんよな。いやいや、書くのも仕事ですけど。なんかやっぱちょっとこの二つは違うみたい。僕の感覚的に。ちゃんと必要とされたいな。その場にいる責任を取りたい。無責任にはなりたくない。

ちゃんと当たり前のように、必要とされる人間になりたいです。

昔の僕が思い描いていたような、ね。

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