無事終えました。

どうも、須貝です。

先日23日、K.B.S.Project act11 『SING!』を無事終えることが出来ました。
久々に喉を嗄らしてしまい、さらに体中ギシギシになりましたが、誰一人大きな怪我もなく、たくさんのお客様にご来場頂けました。ご来場下さった皆様、応援して下さった皆様、誠にありがとうございました。

稽古に参加した当初は、大人数で知り合いも少なく、やっていけるか不安でしたけど、終わってみれば男子メンバーは本当の部活のように仲良くなれたし、座組みとして、一つの作品に向かうことが出来たんじゃないかなと。ほんとに、いい舞台でした。千秋楽のトリプルコールの時にもお話させて頂きましたが、こんなに全力で向き合った舞台もないし、こんなに全力で向き合ったことが報われた舞台もありませんでした。死力を、尽くすことが出来た。

舞台に携わり、それでお金を頂くようになると自然と、こういう熱量のようなものが失われてしまうのだろうか、歳を重ねるごとに、こなすようになってしまうのだろうか、そんな危惧をずっと抱いていましたけど、そういうことでもないのかもしれません。少し安心しました。要は僕が納得出来るかどうか、そういうことで、僕が良い役者であろうとし続ければその心配は、常に必要ないことなのかもしれません。

例えば一つのシーンを作る時に、始めて2年の人ならば5時間掛かるとします。それが3年目には4時間、4年目には3時間、5年目には2時間になっていくものとします。経験を積めば、一つのシーンに掛ける時間は少なくなっていく。これは仕事として当然のことですよね。

しかし自分の実感として、6年目辺りから、その時間が減らなくなっていくんです。6年目には3時間、7年目には4時間、8年目には5時間と、増えていく。一つのシーンにこだわる時間が長くなるんです。納得しなくなっていく。10年経った今なら、もしかしたら8時間くらい掛けているかもしれません。自分の人生に流れる時間を、より多く割くようになる。

生活が掛かっているから、お金が掛かっているから、自分の携わる舞台を諦めないようになる。

長く舞台に立っていると、この公演が終わったらやめようとか、この役をやりきったからもう満足だとか、これでもう自分の書きたいことを書ききったから悔いはないとか、終わりどころを探すようになる。弱音と言えば弱音で、続けることが辛くなっていく。そういう弱い言葉をうんざりするくらいたくさん吐いたとしても、結局まだここに留まっていて、でもそういう結果があるからと言って決して強いわけではない。

強いとか弱いとかそういったことが大事なのではなくて、しぶといかどうか、諦めが悪いかどうか、今の自分に納得しているかどうか、そういう必死さの方が大事なのだなと気付く。続けている人はやっぱり、しぶといんだと思います。

僕だっていつまで続けるか分かりませんが、今はまだ自分に納得がいかない。だから続けようと思っています。

思い、挑み、そして望む。 guess, try, and hope.

まだまだ諦めるには早い。しぶとく生き残ってやろうじゃないの。

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