最期に一言~five years ago,~

 円ちゃんがいなくなったことは、少なくとも二ヶ月くらいは町の噂を独占していたと思う。それが三ヶ月目に入ると次第に皆も飽き始め、「殺人事件に巻き込まれた」だの「宇宙人にさらわれた」だの、「東京のどこかで風俗譲として働いている」だの、「この前テレビで見た」だの、そんな下らない大胆予想のネタも尽きてきたわけで、そう思えば、よく二ヶ月ももったものだ。

 円ちゃんのお父さんとお母さんは、彼女がいなくなったこと自体に関しては殆ど全然、心配していなかった。なぜなら彼女がいなくなった二日後に彼女自身から連絡があったからで、確かにそれまでは二人とも死にそうな顔をしていた。それでも結局警察には連絡しなかったそうだ。

 彼女は今、一人暮らしをしていた神奈川の従姉の所に一緒に住んでいる。らしい。バイトをしながら予備校に通っていて、大学は東京の大学を受験するそうだ、ということまでは僕も聞いている。それ以上は円ちゃんのお父さんもお母さんも教えてくれない。二人はもっと何か知っているのかもしれないけど、教えてくれない。もしかしたら本当にそれしか知らないのかもしれない。
 僕以外の町の人は、僕が知っていることすら知らない。円ちゃんのお父さんとお母さんは噂が一人歩きするに任せた。円ちゃんが無事なら、下手に説明する必要もない。どうせ皆は本当には彼女のことなんかどうでもいいのだ。

 二人が心配に思っていたのは、円ちゃんがいなくなったということそれ自体じゃなくて、結局は彼女が残していったメモなのであった。心ちゃんの最期の一言であるという、あの言葉である。
 そう、考えてみればおかしな話だ。心ちゃんが亡くなった時、円ちゃんもまだ昏睡状態で、彼女が目を覚ましたのは事故から三日後のことだった。しかも二人の病室は二階と四階、全く離れていたのである。

 つまり、円ちゃんには、心ちゃんが最期に言った言葉なんて、知りようがないのである。彼女の両親も彼女に教えたことなどなかった。心ちゃんが亡くなった時、病室には二人のお父さんとお母さんしかいなかったわけだから、誰かに伝え聞いたのでもない。

『お父さん、お母さん、転んで怪我しないで』

 
 二人が心配したのは、この言葉を遺して、円ちゃんも死んでしまうのではないか、ということだった。無理もない。だって二人はそれまで、多少のズレこそあれ、何をするにも一緒だったのだから(侮ってはいけない、トイレのタイミングも寸分違わず同じだったのだ)。だから円ちゃんが無事で、神奈川の従姉からも何ら変わった様子はないという報告を定期的に受けていたので、二人は、寂しくはもちろんあったけど、安心しきっていたのである。

 しかし僕の方はと言うと、二人ほど安心しきっていられるわけではなかった。円ちゃんのお父さんやお母さんみたいに頻繁に円ちゃんとは連絡が取れないし(彼女は携帯を変えてしまっていたし、自分の連絡先は誰にも教えないでとお父さんとお母さんに念を押したそうだ。もちろんこの僕も含めた「誰にも」、である)、会いに行こうにも神奈川のどこに住んでいるか、そもそも神奈川なんて行ったこともなかったから(せいぜいスラムダンクの知識があるくらいだ)、本当にどうしようもなく、途方に暮れてしまったわけである。

 クラスの皆はバカげた噂が落ち着くのと同じくらい、つまり二ヶ月くらいの間は本当に心から円ちゃんのことを心配していたけど、春が終わり、夏の球技大会が終わって本格的に三学年の全員が揃って受験モードになると、円ちゃんのことは驚くほどあっさり話題に上らなくなっていった。

 それでも僕はまだ彼女のことが気になっていて、心の中では「この薄情モノのゴミ溜めどもがぁ!」って少年マンガっぽく思っていたけど、やっぱりそれは僕が彼女と特に仲が良かったから、その僕にしても気がつくと円ちゃんのことを一日くらい考え忘れていたり、そういえば円ちゃんは誰とも仲が良かったけど、誰かと仲が良かった、という印象はなくて、やっぱり心ちゃんと一番仲が良かったのだなぁと思い、そしてその時に久しぶりに心ちゃんのことを思い出したり、もしかしたら円ちゃんはこうすることで心ちゃんの悲しい思い出を皆から消そうとしたのかな、なんて思ったり、もしかしたら心ちゃんの方が目立っていたのが(亡くなったことによる同情から)許せなかったからいなくなったのかな、なんてことも平気で考えたり、要はよく分からなかったのである。

 とりあえず僕にできることは、彼女がいなくなる前に志望していた大学に何とかして受かることだ、少なくともその時の僕はそう思った。そうすればもしかしたら会えるかもしれない。
 だが、彼女が今もその大学を目指しているかは分からない。東京の大学に行くと言っても、東京には大学が腐るほどある(六大学野球って、大学が少なくとも六つもあるのだ!)。しかも彼女が目指していた大学は、僕のレベルからすると、黙っていても二つはランクが上の大学なのだ。まずそこに受かる保証なんてない。

 それでもやるしかない。僕は一念発起した。何としてでも入ってみせる…!

 約半年後、僕は、そんな僕の願い事を叶えてくれるような都合のいい神様なんていないのだという事実を身をもって知った。皆さんに指摘されるまでもない。現実は時に必要以上に厳しい。
 彼女はやはり、元から志望していた大学を変えておらず、しかも受かったという。僕の方だってそうは言っても、東北では有名な国立大学に現役で合格できたんだから、本当にラッキーだったと言うしかない。
 僕は新生活を始めるために、合格が決まってから一週間も経たないうちに山形を後にし、新天地仙台に居を改めた。

 
 
 いつしか彼女がいなくなってから五年の月日が流れていて、僕は順調に四年生になって卒業を控えていて、もし円ちゃんもそうだったらもちろん彼女も四年生になっているはずで、僕はさすがに円ちゃんのことを以前ほどは思っちゃいなかったけど、それでもやはり変わらずに心配していた。卒業したら山形に戻ってくるのかな、東京に残るのかな、彼氏はいるのかな、もう処女じゃないよな、などなど。思うことは尽きない。

 
 卒業を間近に控えた冬休み、僕は山形に向かう新幹線に乗っていた。新年を祝うためだ。窓の外に積もる雪が眩しくて痛い。

 
 僕がその二人連れを見つけたのは、乗り換えのために福島で新幹線を降りた時のことである。どこか見覚えのある後ろ姿、懐かしい

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