どうも、須貝です。
ここ最近で気付いたこと、主に自分の課題みたいなものの話をします。
でもきっと、皆さんにも感じてもらえることがあるはず。
・超える。
ワークショップをやっていて一番恩恵に与っているのは僕だと思っています。自分が大事にしていることや課題、気付けなかったことに、誰かに伝えるという手段を以って気付けるので。
今月から7月くらいまでは役者の身体を作ろうという月間で、結構マニアックなことをやっていると思います。体の各部位を自由に、独立させて動かす、支配する、パワーバランスを自在に操るというようなことをやっていて、そうやっていて気付くのは、自由に体を動かしてごらんと言うと、人は今まで動かしたことのない方向へは体を動かさないということ。当たり前ですけど、大事なことなんです。あらゆる方位に体を動かそうと思うのであれば、それを何度も体に経験させるしかない。この人はこの動きもするのだと体に認識させて、体の可動範囲を増やしていく。
筋肉は傷付けなければ増えません。傷付いたものを補うという形で増えていく。動かしたことのない方へ体を動かすと、それを体が経験して覚える。そこへ行くために体の機能を進化させる。それをひたすら繰り返していけば、体の機能を使い切ることが出来る。
感情も同じで、経験したことのない感情やそれ自体の大きさというものは、超えていかなければ慣れていかない。簡単に言うと、泣いたことのない人に泣く演技をさせるのは多分難しいでしょう。だから、より多くのことを感じ、より多くの感情を経験し、より大きな感情を抱く。あらゆる感情を表現するためにヒントを出来るだけ集めておく。日常をそうやって過ごすと、毎日が発見の連続で面白いと思います。
僕はよく心の筋肉を鍛えるという言い方をしていますけど、ちょっと変な表現かもしれないけど、自分としてはこの言い方が一番しっくりする。心をしなやかに、強く。
味覚の鋭さのようなものは、ある程度の年齢までにどれくらいの味を経験するかによって決まるらしいです。甘さや苦さや辛さなど、色んなものを乳幼児の内に経験していれば味覚は鋭くなるし、逆ならば鈍くなるというものらしい。
これは、感情も同じだと思います。ある程度の年齢、例えば二十代の前半くらいまでにどれだけの感情を経験したことがあるか、これによってある程度のことが定まっていく気がします。
人は死なないように出来ているので、歳を取ると、強い感情が生まれてもブロックするように出来ている気がします。若い内ならあらゆることをビビッドに感じることが出来るとしても、歳を取るとそれを遮断する、感覚を鈍くしたり経験則からそれに名前を付けて分類して理解しようとしたり、とにかくそういう防御が働く。
若い表現者の方々へ、自分も含め、とても辛く苦しいことなのですが、どんなに耐え難い感情でも、それを殺さない方がいい。押し留めたり名前を付けて安心したり、そういうことをしない方がいい気がする。とても生き辛いですが、そうやってそのまま受け入れた感情が自分の内部を押し広げて、将来にきっと恩返しをしてくれるはずだと思っています。
・上げる。
サイレント・フェスタでベテランの方々から学んだのは、とにかく速さ。そして多さ。一つの課題に対してのチャレンジの数が膨大で、かつ一つ一つの取捨選択の時間が速い。僕が三日かかってやることを半日でやる。下手すると一時間でやる。この速さに付いていけなければ、後は置いて行かれるだけです。
思い付くこと、それをやってみること、そしてさらに重要なのはそれが使えそうならさらにやり、使えなそうなら捨てるという判断をすること。そういったあらゆることの速度をとにかく上げていく。今はそれが目標です。
・無理をする。
それらをふまえて自分の課題を簡単に言うと、「無理をする」、という所に落ち着いていく。自分の生理的にはここまでという線を、一歩だけ超えてみる。時に二歩超えてみる。常にちょっとずつ無理をする。本当はこの速度でやりたいけどさらに上げてみる。失敗するかもしれないけど無理してみる。
自分の手の内でやっている内は、出来ることの精度は上がっていくかもしれませんが、新しいことをやれるようには絶対になりません。僕は今二十八歳ですが、まだ何かを定めるほどではない。逆に今しか色々なことをやれる時期はない。今を逃せばずっとない。大事なのは今だと思います。
特に僕は頭が先行するタイプなので、この、無理というやつをしない傾向がありました。なので、目標として掲げておこうかなと。そうやって自分を常に超えていくことで、毎日毎日進化していけるはず。
ワークショップでよく言っているんだけど、一に一で返すのは普通。一に十で返せれば優秀。一に百で返せればもうその分野で飯を食っているはずです。要は、そういうことを目指していきたい。今は五十くらいかな。頑張らなきゃ。
・大きさを超える。
今一つ具体的に目標があって、どのサイズの劇場でも同じことが出来るようになることを目指しています。なので、来年の目標は出来るだけ大きな劇場に立つこと。まずは300人規模。ゆくゆくは1000~2000人規模。自分の汎用性を上げていきたい。そのためには経験するしかない。慣れるしかない。
何かに、固まりたくない。
・寄り添う。
誰かのことを思い出したり、心配したり、会いたいなと思った時は、その他のどんな用事を突っぱねてでも会っておくべき、連絡を取っておくべきだと思います。失ってからでは遅い。あまりにも遅いです。
「じゃあね」と別れたその後に、もう一度会える保証なんて実はどこにもないんだから。
あらゆる瞬間を最後だと思うこと、あらゆる瞬間を最初だと思うこと、そんな生き方が出来たら、もしかしたら悔いを残すことも減るのかもしれない。
今までずっと、自分のために生きてきました。今でもそうだしこれからもそうだろうけど、それにちょっとだけ、疲れてきました。誰かのために生きたい。
誰かに、これは家族でも友人でも恋人でもいい、とにかく誰かに、寄り添うということを考えていきたい。舞台に立っている時もそうで、置いて行かない。常に誰かの視点であること。側にあること。そういうことを今体が欲している。
・言葉の距離感。
言葉にするという行為にはいいことも悪いこともあって、言葉にしなければ分からないこともあるし言葉にしがみつけば体や心が付いて行かなくなることもある。要は言葉と適切な距離感を持てるかどうかなのかもしれない、ということを考えたりしています。
僕は言葉を書くのが好きなので、いつでも言葉を書く時はそれを楽しくやりたい。それすらも伝わればいいなと思っています。長く付き合って行くためには、距離感を間違えないことも重要かなと思います。
2005年5月に始めたこのブログもついに8年目に突入致しました。8年前には考えていなかったことを今考えていて、8年前に考えていたことを今も考えていたりします。この先どうなっていくのか、自分のことながら楽しみです。
末永く、よろしくお願い致します。