最期に一言~and now.~(2)

 つまり、話というのはこうだ。
 
 インさんのお父さんというのが中国では有名な電化製品メーカーの社長さんだそうで、2009年度から中国国内向けにパソコンの製造を本格的に開始するらしく、半導体やその他の精密機械に関して山形にある企業と提携、というか技術面でのサポートの依頼をしているらしい(皆さんはあまり知らないだろうが、山形はその寒冷な気候のために半導体のような精密機械産業が盛んなのだ)。

 当面はその企業の製品を輸入してパソコンの製造を賄うらしいが、ゆくゆくはそれらも自社製品にするつもりらしいのだ。そのために山形に半導体の自社工場を建設する計画があるのだという。

 中国国内に作ればいのに、と思ったが、中国国内における理想的な土地と山形の土地の値段があまり変わらないのだそうで(驚きだ)、様々な輸送費や人件費などといったその他諸々の事情を考え合わせても、山形に工場を作ってしまうのがいいらしく、円ちゃんが言っているのはそういうことだったのだ。

 それにしても、である。果たしてそれだけか、と言われれば、もちろんそうではない、もちろんそれだけじゃないだろうさ、と言ってしまいたくなったりする。なぜなら円ちゃんとインさんは瓜二つで、ただそれだけなら偶然の一致と取っても構わないのだが(偶然というには似すぎているけど)、さらに円ちゃんには以前これまた瓜二つの、ちゃんと血の繋がった双子の妹がいて、その娘は既に七年前に亡くなっているのである。そして五年近く行方をくらまし(いや、別に行方をくらましていたわけではもちろんないのだけど、僕にとっては、ということだ)、ふらっと帰って来て、しかも自分にそっくりの、つまり心ちゃんにそっくりの女の子を連れてきて、しかもその人と一緒に再びこの家に暮らすというのだ。

 
 これはどう取るべきことだ?喜ぶべきか?訝るべきか?円ちゃんは一体どういうつもりなのだろう?本当にただ、ビジネスの一環で考えたことなのか?二人が出会って仲良くなったのは、きっと二人が似ていたことがきっかけなのだろう。そして山形の工場建設と円ちゃんの故郷が山形であるというのも偶然だったのだろう。でもその先は?一緒に暮らすって?

 お父さんとお母さんはどんな気持ちだろう?心ちゃんが戻ってきたようで懐かしかったり嬉しかったりするのだろうか?それとも自分たちの封印した記憶が再び明らかにされるようで辛いのだろうか?それは二人にしか分からない。少なくとも僕は、暫くの間はインさんにどう接すればいいか分からないだろう。

「あれ?そういえば晋ちゃんはどうすんの?これから」
「あ、僕は山形銀行に…」
「じゃあ実家から通うわけ?」

 それは実はまだ決めていなかった。それを話し合うつもりで今回は帰郷したのだ。自分としては一人暮らしをするつもりだった。

「多分そうなると思う」

 この通り、僕自身が下した決定なんてものは約一秒で覆ってしまうものなんだ、この女にかかれば。

「いや、とりあえずは家庭用よりも企業向けにしてったらどうか、って思ってさ。家庭用に関しては日本ほどの普及率がないから」
「でもほうじんだけではげんかいがあります」
「そう、だから法人向けのパソコンに関しては製造の地盤を固めるっていう意味も大きいのよ。家庭用に関しては機能以外に求められる部分も大きいでしょ?」
「そうだな、小ささとか薄さとかデザインとか」
「そう!そうなんよ~。ま、それは私らの管轄じゃないから細かいことは全然知らないし詳しくもないけど」
「円とインさんは何をするんだい?」
「わたしたちはしゃいんようのたてものつくります」
「社員寮ね。労働力に関しては中国の人を使うつもりだから。で、社員寮とそこの環境なんかに関して私とインさんは一任されてるわけ。地域の人との橋渡しってことになったら絶対に現地の人間は必要だし」
「まどかはてきにんです。うってうけ」
「うってつけね、イン」
「そうかそうかぁ、私らの知らない所でお前は色々考えてたんだなぁ」

 僕がぼーっとしている間に話はだいぶ進んでいたらしい。円ちゃんに聞きたいことは山ほどある。本当に山ほど。五年分の重みだ。

「晋ちゃんもそろそろお家に帰ったら?お母さん心配してるんじゃない?」
「一応連絡しておいたけど。でもそだね、そろそろ帰る。また明日来ます」
「なんか引き留めちゃってごめんね。あ、遅くなっちゃったけど、就職、おめでとう」

 円ちゃんのお父さんもお母さんもすっかり円ちゃんのペースだ。大体この夫婦は似たものおっとり夫婦なのだ。こんなことじゃ誰からだって簡単に騙されることだろう。
 

 居間を出て玄関に向かう。楽しげに色々なことを話し合う一つの家族の声が、徐々に遠ざかっていくが、遠ざかるその以前から、僕にとっては既に遠い。遠い。僕は靴を履くと、音を立てないようにドアを開け、そして同じように音を立てないようにドアを閉めた。

 例えば1996年と聞けば多くの人はつい最近のことのように思うのではないだろうか。でもそれは既に十年も前のことなのだ。心ちゃんが亡くなったのが1999年、円ちゃんがいなくなったのは2001年だ。とても最近のように思うけど、それだって、もう七年前と五年前の出来事なのだ。そうやって実際に何年前か考えると、途端にその年月の重みを感じる。1789年の7月14日にバスティーユ牢獄が襲撃されたという事実と、バスティーユ牢獄が襲撃されたのは今から二百十七年前なんだという事実には、また違ったニュアンスが含まれる。

 
 帰り道、僕は茹だったようになった頭でそんなことばかり繰り返し考えていた。何年隔たろうが、円ちゃんのことを遠く思ったことはなかった。いつも身近に思っていた。それが今は遠い。その事実があまりにも重く僕にのしかかっていた。話さなければ。彼女と会話しなければ。年月を取り返すことは出来ないが、補うことは出来る。出来るはずだと信じている。

 僕は多分不安だったのだと思う。謎が多ければそれは魅力となって人を惹きつけるが、多過ぎればそれは恐怖となる。今、僕が円ちゃんに対して抱く思いは、その両方の狭間でフラフラと浮遊していた。

~つづく~

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