心に残ることども。

どうも、須貝です。

大体最近は月に一回くらいここでの文章を更新しているけど、先月書いたのがつい最近のことのように感じる。日々を無為に過ごしているつもりはないが、濃かろうが薄かろうが毎日はあっという間に過ぎていくようだ。

ブログでのご報告が遅くなりましたが、KNOCKSという事務所に所属することとなりました。今後一層精進して参りますので、何卒よろしくお願い致します。

先月10月に出演して以来、実に5ヶ月も人目に触れないのは久々で、恐ろしい。あらゆることを忘れていやしないかと思う。おかげで人の舞台を観に行く時間が増えたが、離れれば離れるほど、自分があそこに立っていたことが遠くなっていくような気もする。

先日ある舞台の初日の公演を観劇し、そのまま打ち上げにも参加させて頂いた。出演者の皆さんと久々に再会し、多く話すことが出来て本当に楽しかった。特に主宰さんと様々に話せて、それが良かった。その時は主に続けていくことややめること、形を変えることについて話した。自分がその時ちょうど考えていたこととも相まって、心に残っている。

その方いわく、人に指摘されるまで自分の団体が年月の節目を数えていることを意識しなかったが、意識した途端、続けていくことが出来ないと感じたのだそうだ。改めて自分が過ごしてきた時間のことを振り返った時に疲れを感じるというその感覚が僕には非常に共感できたので、なるほどと頷くことが多かった。その方は疲れという表現ではなく飽きるという言葉を使っていたが、似た所があるような気もする。

よく言われることだが、あるものが一つの形で本当にクリエイティブなことが出来る期間というのはせいぜい10年ほどだという。という話をした上で実は、と僕は切り出し、僕の団体であるmonophonic orchestraも10回でやめようと思っているということを話した。人に言うのは初めてである。その方は僕に、回数なんか決めず飽きるまでやったらいい、と言った。背中を押された気もした。

疲れる、飽きるという感覚はとても真っ当な、生きる本能に直結した感覚だと思う。疲れることを感じなければいつか死んでしまうし、飽きることを感じなければ移りゆく環境に対応出来ないかもしれない。特にこういう職種においては、それを押し殺すことによる遅れは、致命的な気もする。

冒頭の話に戻るが、自分が今こうやって舞台から離れているのは疲れて飽きたからだ。後はもう、満足してしまったからとも言える。それは箱庭円舞曲の最後の出演の際に、千秋楽でお客様の前でご挨拶した時に達成されてしまった気持ちなんだと思う。僕の人生だから他と比べても仕方がないが、まぁ比較的、いい思いはしてきたと思う。憧れの方とも仕事が出来たし、納得のいく作品とも出会えたし、満足のいく本も書けた。

ならスパッとやめりゃいいんだが、それでも裏腹に意地汚くまだこの世界に身を置こうとしているのは、後もう一回、いい思いがしたいという貧乏人根性に他ならない。最後に後一度だけ、命を懸ける体験がしたい。だからこれから出演する作品は常に、最後になる可能性があることを考えながら取り組むことになるだろうと思う。書く方はそんなことはない。誰にも求められなくても死ぬまでやるつもりだ。

話は変わるけど、世の中でこんなにお芝居をやっているとは、と改めて思った。馴染みのない人には皆無な世界なのに、馴染みのある人には膨大だ。この差が凄い。東京は人も過剰に多いが、演目も過剰に多い。本当にいいものを作るためには、ここにいてはいけない気もした。東京オリンピックの開催までにはなんとかして東京を離れたい。あれは2020年ですか?あと6年ですね。35歳になってるな。

近づけば大きな問題も、離れて見れば大したことはない。自分のことだと重大だけど、人のことだと気にもならない。人のことだからこそ気になることもあるし、自分のことだからこそ疎かになることもある。例え自分のことでも離れることが出来たらすぐに忘れられるだろうし、もし人の身の上を想像して自分をそこに置いてみたとしたら、身が裂かれるほど辛いかもしれない。近づくと離れるを何度も繰り返して、その度に自分に返って来るものがあればいい、多くなくてもいいから少しでも、得るものがあればいいなと思う。

今年のmonophonic orchestraは本公演はやりませんが、5月と8か9月頃に何かしらやります。お楽しみに。

それから通年ワークショップまたやります。詳細はこちらから。離れるにしても、何かちゃんと後の世代に残していかねばね。1年のレッスンで少なくとも僕程度の技量は得られるようになるワークショップです。もちろん目指す所はそれ以上ですけど。

ご応募お待ちしてまーす!!

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