ある娯楽。

どうも、須貝です。

久々だと思ってたら一応一ヶ月は経ってないんですね。最近月いちで定着して参りました。

現在引っ越しを間近に控え、色々と手続きしたり部屋を片付けようと思い始めたり(まだ片付けてはいない)しています。物件はもう決まったのですが、都内の家賃相場は凄く下がって来てますね。前の引っ越しの時も思いましたけど。人が離れ始めているんですかね?東京にいる意味ってどんどん薄くなってきてますもんね。オリンピックもやるし。今の東京でオリンピックやって何の意味があるんだろ。オリンピック自体は好きです。

今は秋、ということは箱庭を退団してからもう一年が過ぎ、急きょ山形に帰ったあの時からも一年が過ぎ、ナイロン若手公演に出させて頂いた時も間もなく一年前になろうとし、そうこうしている内に『1万円の使いみち』からも一年が経つのでしょうね。どの一年もそうやって過ぎていくのでしょうが、今は特に感慨深いものがあります。毎年秋になる度に思い出すこともあるでしょう。

さて、話は変わって。

前々から思っていたのですが、「韓国はヤバい」とか「中国はヒドい」みたいな本って、結構いっぱい出てるんですね。僕自身は全く興味ないんで本屋に行ってもその辺のコーナーには寄らないんですが、それでも目につくようになってきました。売れてるんでしょうね。俗な風体でなく、新書サイズで売っているものが多いようなので、何かありがたいことが書かれているような気がします。ちなみに別に批判してるわけじゃないです。そもそも内容読んだことないから批判のしようがないし。

かなりデリケートな話題かもしれませんが、別に愛国論の話はしません。ただ、そういう本が売れるということは、それら韓国批判や中国批判がある娯楽として成立しているからなんだろうなぁと思っただけです。これは「今の日本ヤバい」という本も同じです。「だから日本人はダメなんだ」とか、「日本はやっぱり素晴らしい」みたいな本も同様です。

つーかまぁ、それ自体は元から娯楽だったというか、週刊誌のネタではあったんだと思うんですけど、何が違うって、それが本になって出ちゃってるってのが、ちょっと変わってきていることなんじゃないかなと。五年前はこんなに多くなかったと思うんです。当時と今の社会情勢が違ったとしてもね、老若男女がこれらの本を買っていく状況ってのが、離れて見ている自分としては特殊というか、異様に感じるんです。

僕は個人的には、韓国に親友がいるし、知り合いもいっぱいいるし、訪れた時はそりゃもう本当に良くしてもらったし、食べ物も美味しかったし文化も興味深かったし、活気があって好きな国だったし、また行きたいと思うんです。だからやっぱりその手の本は読めないし読みたくないんです。難しいのは、韓国を嫌っている人はこの僕と立場は違えど同じなんだろうなということなんです。ある特定の理由があって、好きになれないのかもしれない。でもそれは仕方がない。主義主張や生まれや家族や実際的な被害があってのことであればどうすることも出来ない。

実際僕は中国の子らと共演したことはあるけど、昔接客のアルバイトをしていた経験から、中国の人はちょっと苦手です。あの、一切日本語も英語も喋らず中国語でガシガシ来る感じが…。とはいえ中国も多民族国家だから色んな人がいるんですよ。同じ中国人同士でもあいつらはヤバいみたいなのあるみたいだし。まーそりゃ仕方ないんっすよ。好き嫌いはあるもん。

でももしそうではなくて、韓国人の知り合いもいないし韓国に行ったこともないし、特に理由があるわけでもないけど、テレビの報道やそれらの本を手に取ることによって娯楽のように韓国を嫌って胸のすく思いを味わっているのだとしたら、これは悲しい。やめた方がいいんじゃないかなとちょっと思う。

安倍政権ヤバいみたいなのも同じにおいがします。僕も支持はしないし戦争も絶対反対ですけど、でもそういう人が首相になったからにはそれもやっぱり民主主義で、彼を支持する人もたくさんいるということだと思うんですよ。要は戦争したい日本人もかなりの数いるんです。僕や僕の周りの世界の人たちからしたらまさかということであっても、例えばTwitter上では戦争批判や原発批判が大多数の意見を占めていても、そもそもTwitterやってない人たちが戦争に賛成していたらその大多数の意見は目に見える意見なだけで、本当の大多数じゃないんです。

つーか、首相を批判しまくるってのは転じて、自分らがまともな首相を選ぶ能力がなかったってことになると思うんですよ。民主主義ってつまりそういうもんだと思うんです。本当に不満があって民主主義も履行されていなくて民衆が圧されているのだとしたら、蜂起でも革命でもなんでもやりゃいいんですよ。上に立つ人間はダメだし覆しもしないし、ただ批判だけするってのはわがままな子供と一緒です。

全体的に何が言いたいかというと、本来批判は批判で終わってはダメなんです。行動を促すためのものでなくては。行動に繋がらない批判はただの与太話だと思うんです。言論や批判が実際に国を変えたフランス革命のように、行動と批判は常に一緒にあったもんだと思うんです。フランス革命はグダグダでしたけど。でも何かが変わっただけマシです。

何も変えずに具体的な行動をせずに批判だけ垂れ流れる文化はきっと、澱むと思います。

こういう娯楽がはびこっているようでは、日本人の品位というか、レベルというか、そういうものが下がっていきやしないかと思うんですよ。だからより、僕らみたいな演劇やってる人間が頑張んなきゃいけないんですけど。結局そこに話は落ち着くんですけど。

僕は、作品を通じて国を変えるほどの大それたことは今は出来ないけど、それでも作品で誰かをより良い方向に導けるようにあるべきだと思っているし、それがもしかしたらいつか大きな何かを変えるかもしれないということを信じています。

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