根を探る。

どうも、須貝です。ご無沙汰しております。

皆さん、ご存知でしょうか。僕の主宰するmonophonic orchestra(モノフォニックオーケストラ)、今日が5年目の誕生日でございます。イェイイェイ。2010年2月11日は旗揚げ公演の千秋楽でありまして、普通は初日を誕生日にするのかもしれませんが、祝日でキリがいいのと、終わった時にやっと、これを続けてみようと思ったので、それでこの日を誕生日にしたのです。ハピバ。

覚えにくい名前だの、君は一体何をやりたいのだの、役者だけやっていればいいのにだの、色々に言って頂きましたが、5年も続けてみました。
たくさんの不義理とたくさんの損とたくさんの間違いを犯して、生きて、たまに、ごくたまに、報われると思うような、そんな日々でありました。正しいことが何か分からないのであれば、最善を尽くし続けるしかないのだと思います。

5年目のモノフォニ、新作公演『さよなら、三上くん』、絶賛執筆中です。2008年を舞台にした「追憶編」を書き終わり、現在は6年後、2014年を舞台にした「望郷編」を執筆しています。そう、今回は2バージョンやるんです。僕も初めてです。

2バージョン公演の常として、どっち見ればいいんだ、と大抵の方がお考えになるでしょう。僕も観客の時はそうです。まぁどっちも観て頂きたいんですが、推理劇仕立てで物語が加速していき、最後に胸がギューっとなるのが追憶編、変な奴がいっぱい出てきますが、最後にほんわかじんわりするのが望郷編です。参考にしてください。

どちらも高校の話で、文化祭をどうするかという会議劇になってます。公演詳細はこちらから。ご予約の開始日は2015年2月15日(日)の10:00です。もう少々お待ち下さいね。

さて、今日の話を始めます。

人に薦められて、『母がしんどい』などの著書を持つ田房永子さんのネット上の記事、エッセイを読みました。これは目から鱗が落ちました。痴漢について話してらっしゃいます。ご興味ございます方、こちらからお読み頂けます。

この、「薄い膜の中に入って来た」、という感覚は、男性を理解する上でかなり面白い感覚ではないかなと思うのです。

僕はよく殺人博物館というサイトを見ています。古今東西あらゆる殺人者のことを集めたサイトです。残酷な描写も多いですが、ジャンル分けされていたり加害者の生い立ちやエピソードなどが紹介されていたりでかなり面白いです。拒否される方もいらっしゃると思うのでリンクは貼りませんが、ご興味おありの方は調べてみて下さい。

自分は常々、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と考えています。倫理的にとか、法的にとか、そういった答えは答えではない気がするのです。もっと根源的に、どうしてダメなんだ、ということを考えて、答えられるようにしておかないとまずい気がするんです。自分の子供にその質問をされた時にもし答えられなかったら、自分の子が人を殺すかもしれないのだから。僕自身だってそれに答えを得られなければもしかしたら人を殺すかもしれないのです。

以前は、「それを許すと自分も殺されるかもしれないから」というのがとりあえずの答えでした。自分だけでなく周りの親しい人たち全員に対してですが、本位は自分の世界です。でも果たしてそうなんだろうか?

その答えが出た、ということではないんですが、そういうことを考えていた時にこの記事を読んだので、また色々と新しいことを考えました。

動物が他種を殺すのは捕食する時なわけだから、人を殺すこともハンティングの要素があると考えていたけど、同種が同種を殺すのは縄張りを侵した時だけだから、人を殺す人というのは少なからず、殺す対象に対して自分の縄張りを侵されたような感覚を覚えているのではないかなと思ったんです。

お金や、家族関係のいざこざや、突発的な感情によるものは当てはまらないのかもしれないですけど、サイト上で紹介される連続殺人者というのはなんとなくそういう人たちのような、どこかそれは仕方ないことで、殺されたやつが悪い、そいつも望んでいた、というような論を展開する人が多いんですね。なぜ俺を止めないんだと警察に訴え、精神病院を退院させたら絶対に俺は人を殺すぞと医師を説得し、生活圏内に入って来た人をどうしようもなく殺してしまうのです。被害者は彼らの薄い膜の中に入り込んでしまったんじゃないだろうか、と。

これはもしかしたら距離感や範囲の話だけではなく、こういう髪型や体型の人を狙うとか、こういうシチュエーションの人を狙うとか、あらゆる形で殺人者たちにはそれぞれの薄い膜があり、必ずスイッチになる何かがあって、本能的にそれに危機意識を感じて排除しているんじゃないかなと。ちょっとそんなことを思いました。

痴漢をするのも連続殺人を犯すのも圧倒的に男性が多いですよね。女性はほとんどいないんです。それってもしかしたら、どこか似た何かによっているのではないかなと思うんです。

なぜ殺してはいけないかということに対する答えはぼんやりとしたままですが、作家や役者をやる上で、この、根を探るということを常に忘れてはいけないなと思っています。頭ごなしに信じない癖をつけるというか、何か起こった、ではその裏に何があるのか、誰がいるのか、そういうことを反射的に考えている生き物だと思うんですね、僕たちは。

情報の量に隠れていても、どこかに根は必ずあるものと思います。根がある限り物語もなくなりません。物語がなくならない限り僕らも食いっぱぐれません。と思います。

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