最期に一言~and now.~(9)

「…会ったって?」

 僕は聞き返したが、まるでバカみたいだった。

「会った」
「それ…」
「そう」
「でも円ちゃんだって…」

 そうだ、円ちゃんだって入院していたのだ。無事ではなかったのだ。意識を失っていたはずだ。心ちゃんが亡くなった時だって、そうなのだ。

「そう、でもね、会ったんだよね、確かに」
「でも円ちゃんだって…」
「分かってるって!そんな風に繰り返しておんなじことばっか言ってるのバカみたいだから!」
「ふぐ…」
「む…スマン…」

 二人して何となく黙ってしまう。それでも円ちゃんは自分で話し出したからにはちゃんとおしまいまで話しきってしまわねば気の済まない性格だったから、すぐにまた話し始めた。

「とにかく会ったんだって。二人して運び込まれてさ、私だって心の部屋なんか知らなかったしずっと眠っちゃってたし、それでも夜中に気が付いたら病室の外にいて何となく歩いてて、何となくそっちこっち歩いてたら心の病室の前にいたんだから。そんなんだから今でも夢でも見てたんじゃないかって思うし実際そうかもしれないし、でも夢かどうかなんて、本当かどうかなんて別に私どっちでもいいんだ。そんなことより私が実際にあの子に会ったっていう意識っていうか思いっていうか思い出みたいなものの方が大事なんだから、この場合は」

 裸足でヒタヒタ歩いている音が、誰かに見つかってしまってまたどこかに連れ戻されちゃうんじゃないかって怖くなるくらい大きく響いている気がしたけど、夜の病院は誰もいないみたいに、いや、決して目を覚ますことのない生命が蠢いているような気味の悪さはあったけど、それでも私は誰にも連れ戻されることはなかった。
 階段を何段か下りて一階に辿り着くと、曲がり角の向こうにある部屋のドアから、白衣を着た人とお父さん、そしてお母さんが出て来るのが見えた。何か大事な話でもしに行くみたい、そのまま歩いていってまた別の部屋に姿を消す。私はお父さんとお母さんが出てきたドアに向かって歩いて行った。ここに辿り着くまでにだって、私は誰にも見つけられない。

 こっそりドアを開ける。驚くほど滑らかに開く軽いドア、軋む音一つ立てないけど、もしかしたら私一人にだけ聞こえていないのかもしれない。でもそうではなかったみたいで、心の側でてきぱきと働く看護婦さんは私に気付かなかったみたいだ。私は同じくらいこっそりとドアを閉めると、物陰に隠れてその看護婦さんが動いている姿をじっと見つめていた。そうして潜んでいた時間はきっと一分にも満たなかったのだろうけど(その証拠にお父さんもお母さんもまだ戻って来ていなかった。あの二人がこんなに辛そうな心を、どんなに大事な話のためだって五分以上も一人ぼっちにしておくわけがなかった)、十分にも二十分にも感じた。そして私は心の中で、どうしてそんなことを願ったのか今でも分からないけど、「看護婦さん、早くどっかに行って、この部屋から出て行って!」、繰り返し繰り返し言葉に出して叫んでいた。

「…きっともう助からないっていう話だったと思うんだよね、あの時、お父さんとお母さんはそんなことを言われてたんだろうと思う」
「うん」
「だからもう、今考えたら、あの看護婦さんは後片付けしてたんだよね、きっと。もちろんその時の私にはそんなこと分かるはずないけど、あの時のことを思い出すと必ず、あの看護婦さんを後ろからブン殴っておけばよかったって思うのね。あの人を責めることなんてできないのにね」

 円ちゃんは驚くほど淡々と話している。誰か別の人の体験談を僕に話して聞かせているみたいに。でもきっと、何か強くこみ上げてくるものを必死に抑えているんだろうなと、その時の僕には思われた。

「…それからどうなったの?」
「それから?…それからね、あんまり強く願ったもんだから、その思いはちゃんと叶ってくれちゃったのよ」

 銀のトレイの上によくは見えないけど色々な物を乗せて、看護婦さんは私の脇を通り過ぎて行った。そのまま左肘でドアノブを下に下げて、体でドアを押して出て行く。だからその部屋には、私と心が残された。心は相変わらず、ちょっと苦しそうな顔をして眠っていた。

~つづく~

Previously