「大丈夫ですか?」
大丈夫か、だと?右の太ももは酷い青あざが出来ているし、頭は思いっきり打ち付けたし、右の脇から腰骨にかけては変に捻った様な鈍痛で苦しいし、おまけに首は鞭打ちだ。これで大丈夫なら僕はどうかしてる。
「大丈夫ですよ」
「まだ休んでいてください」
「ちょっとだけ、ちょっとだけですから。歩くくらいなら全然大丈夫だし」
「座って大人しくしていて下さい」
「ちょっとだけ、じゃあトイレに行くだけですから」
「じゃあって…」
「ね?」
空気読めよ、こんなに頼んでるだろうがよ、看護師さん。俺は大丈夫じゃないけど、そんなに気を遣って安静にしているほど大丈夫じゃないわけじゃないんだ。
「ちょっとだけ、行って来ますから」
(一応、)松葉杖を借りてすぐ隣の病室へ向かう。そこには円ちゃんとインさんがいる。体中が痛い。
白い病室に入ると丁度検温を終えた看護師さんが部屋から出て行く所だった。「あんた頭に包帯巻いて、こんな所で何やってるの?松葉杖までついちゃってさぁ」、そんな心の声が聞こえてくるようだ。それとも単なる思い込みと被害妄想か?
奥のベッドではインさんが静かに眠っている。何ともなくて本当に良かった。後部座席でシートベルトを締めている人なんて、僕は生まれて初めて見たかもしれない。さすが、シートベルトと中国の教育である。
気が付けば手前のベッドに横たわる円ちゃんがこちらをじっと見つめている。円ちゃんは右腕を骨折しはしたが、命に別状はない。こちらも運が良かった。
彼女は必死にこらえてはいるようだが、目の奥が笑っている。
「なに怪我してんの」
「なに骨折ってんだよ」
「松葉杖?」
「そうだよ」
クツクツ笑い出す円ちゃん。こっちはそんな気にもならないと思っていたのに、つられて少し笑う。
「ほんと何やってんだよ」
「あんたらが事故ったから驚いてこっちも事故っちゃったんよ」
「その前だよ、円ちゃんがあんな無茶しなかったら僕らだってこんな目に遭わなかったんだよ」
「怒ってるの?」
「怒ってんだよ、俺は。怒らせたいのか?これ以上さぁ、迷惑かけたり怒らせたりしたいわけ?」
僕はベッドの側に置いてある丸椅子に腰掛けた。松葉杖は立て掛けるのも面倒で床に寝かせる。
「あのさぁ、」
「うん」
「…うん」
「ん?」
「…ほんとにね」
「うん…?」
何を言い出す気なんだ?
「…結構平気なんだよね、自分が割りと好きな人に特に必要とされないこととか。逆に必要になんてされたりしちゃったらさ、重いし、それが原因で好きな人を嫌いになったりしたくないし。自分は何のために生きているんだろうとか一体何かの役に立っているのかとか、ほとんど考えないんだよね。よく得な性格だねって言われるけど、これが普通だし、それが良い悪いなんて考えたこともない」
「…そうなんだ?」
「ね、そうなんだ~って感じでしょ?大した話でもないんだけど、自分の存在意義とか、よく悩んでる人いるでしょう?そういうの、分かってあげられなくて、そういう痛みとかも理解してあげられなかった。心がいるから私もいるんだ、くらいに考えてさ、深くも考えないで別にそれでいいじゃんって思ってたわけ」
円ちゃんはじっと目の前の天井を見て、時々瞬きして、少し休んではまた話し始めた。
「心が死んじゃってからさ、あの子のこと皆なんとなく忘れていかなきゃみたいに思ってるのが許せなくなるわけね。いいじゃん、いつまでもくよくよしてたっていいじゃんって、じゃあ忘れりゃ何かいいことあるのかとか、知らん振りするのが前に進むってことなのかとか、一日に一回くらい思い出してあげたって罰なんか当たらないわよ、なんて思って怒ってたんだね、なんか周りにね、手当たり次第八つ当たり。アホかっての」
「…うん」
「…だからね、あの子が死んでからあの子が忘れられちゃうことが怖くて、そうなったら私までいなくてもいいって言われてるような気がしてきたり、説明も付かないんだけどほんとにそう思ってたわけよ。ちょっと心配かけてやろうかとか、子供みたいだけど思ったりするの。忘れないでいてあげなよって、そんで私のこともついでにちゃんと必要にしてよって厚かましく思ったりするわけね」
「分かんないよ、それ」
「そう?」
「だからって自分を粗雑に扱って良いってことにはならないでしょ」
「そうだね。それはその通り、それとこれとは関係ないよ」
「関係なくはない」
「じゃあ関係あるのかもね。でもごめんね、どうしても命に執着できなくて。死ぬのは死ぬほど怖いのにね、そんでももっとずっと身近なものに感じるのよ」
そう言って彼女は目を閉じた。
「…自分も死んだように感じてるわけ?」
「んなわけないじゃん」
「そうだよね」
「そうだよ」
彼女に言うべき言葉などない。僕が言ってあげられる言葉など、何一つない。それでも何か言ってあげたいと思っている。必死に頭を捻って考えている。こんなに振り回されているのに、それでもこんなことを考えてやっている。僕は何をやっているんだろう。
「…じゃあさ、二人してさ、ずっとくよくよ落ち込んでようよ」
「…は?」
「もう戻って来ないんだとか、あの子は死んじゃったんだってウジウジするとかさ、一日に一度くらい思い出してあげてもいいじゃんとか、なんでお前ら普通に生きてんだよって腹立てたりさ、人一人いなくなっても別に大して変わらないならさ、戦争で人が死んだ時だけ悲しそうな顔したり、これはいけませんねなんて顔しないでさ、僕はテレビで報道されていた誰それが死んだことは大して悲しくありませんけど、僕が大好きだったあの人が死んだことは心のそこから悲しいですってさ、言ってやればいいじゃん。少なくとも俺たち二人だけはさ、ずっとウジウジグズグズしてようよ」
言葉が進む度、早口になるのを感じた。動悸がどんどん早く大きくなる。
「…それって子供みたいじゃない」
「子供みたいだよ、子供みたいだけどさ、それでいいんだと思うよ。でもさ、一つ言いたいのは、お願いだからまたさらにそういう思いをしなきゃいけないようなさ、思い出さなきゃいけない人がもう一人増えるような真似はさ、もうしないでくれるかな?もうさぁ、だからさ絶対にさぁ、もうしないでくんないかな!!」
病室に僕の