時間を巡る。

大体いつも時間のことを考えている。今、現時点での自分というものがあって、この自分の中には今まで自分が過ごした全ての時間が余すところなく含まれている。未来、進んだ先の自分の時間も内包され、訪れるのを待っている。

誰かの時間のことを考える。その人の過ごした、費やした時間。役というものを考える。その役や物語には必ず時間という軸が存在している。全ては時間。時間軸が彩りを加える。平面の無機質な世の中に、時間が意味を与える。いつも時間のことを考えている。積み重ねていくことを考える。

時間のことを考えると、失うことが恐ろしくなくなる。関係性が変わったとしても、過去、確かにそこにあったのだ。それを否定してはいけない。今一緒に時間を過ごしているということ、それを否定してもいけない。素晴らしい瞬間があったなら、今を受け入れられなかったとしても、その人の価値が下がるわけではない。同じく、今後素晴らしい瞬間が訪れないとも限らない。生きている限り可能性は常に同じ地平にあって、僕らと出会うのを待っている。旅の途中に色々あって、その時々で様々に感じて、ただそれだけのことだと思う。今の自分に目を向けること、それが過去にも未来にも繋がっていて、点のようでいてそれは線でもあって面でもあって、時間や考え方の在り様は自由で、自分の意識が縛っているだけ、制限しているだけで、だからこそそれらを少しずつ解き放つ訓練と準備をしていかねばならない。

場所の記憶、ということを先日人と話して、興味深いと思った。今の実家が建つ前の、古い家のことを思い出した。ことあるごとに思い出し、何度も書いてきた気がする。あれは確か七歳か八歳の頃。僕ら家族は古い借家に住んでいて、とにかく古ぼけていて、壊れかけの、かなり寂れた家で、思い出すと色合いは全て暗く、父、母、兄、僕、双子の弟たち、その六人が住んでいた。
どういう経緯かは知らないが、おそらく借家ごと土地を買ったのだと思うが、その家を取り壊して新しい家を建てることになった。新しい家を建てる間、近くのアパートに引っ越すことになった。引っ越して、落ちついて、古い家を壊す日がやってきた。その取り壊しの様子を、母と一緒に観に行った。兄もいたかもしれない。父がいたかは覚えていない。おそらくいただろうと思う。重機が家の正面に牙を立てるようにアームを打ち下ろし、壊れかけの寂れた家が本当に壊れてしまう瞬間が訪れようとしていた。が、古い家はしぶとかった。必死に抗っているように見えた。家というものは、意外と壊れないのだなと思った。母の方を見ると、彼女は泣いていた。あの感情が今では少し分かる気がする。場所の記憶があって、それが彼女を泣かせたのかもしれない。あの家とあの家があった場所に積み重なった時間のことを考える。母が泣いているのを見て僕は怖くなった。あれは、記憶が抗っていたのかもしれない。古い家が骨組みだけになるまで僕らは見ていた。あの光景は多分死ぬまで忘れない。

ビジネスホテルに泊まるのが好きで、たまに意味もなく泊まる。古い家が壊れて新しい家が建つまでの、狭苦しいアパート暮らしの、あの時のことを思い出す。あのアパートがどの辺りにあったのか、もうおぼろげにしか覚えていない。僕には双子の弟とは別に、十三歳年下の弟がいる。彼は古い家のことを知らない。新しい家が建ってから生まれた。先日故郷に帰って、弟と二人で買い物に出掛け、歩いた。今の家の前には古い家があったことや、確かあの辺り、そう言って僕は遠くを指差して、あの辺りに小さなアパートがいくつかあって、新しい家が建つまでの間僕らがそこに暮らしていた話をした。場所の記憶が歩きながら僕の中に甦って来て、弟と繋がった気がした。

狭い部屋で四人の子供たちが、二段ベッドを二つ並べて眠ったことや、アパートに住んでいる間だけいつもとは別の登校班で小学校に通ったことや、大雨で切り上げられた遠足からの帰り、土砂降りで、僕は雨合羽のボタンを掛け違いながらアパートに帰り、母が笑いながら僕を玄関で迎え、僕は食べることのできなかったおやつを家で食べた。遊んでくれた男の子がいて、マンガを読ませてくれて、兄が僕を置いて遊びに行ったので彼が遊んでくれたのだ、その彼がしばらく後にトラックに轢かれて亡くなって、その家族の、哀しみのような諦めのような薄い影のようなものが恐ろしく、今でも忘れることができない。彼の父の目が充血していたのを。時間と記憶と感覚がずっと自分の中にあって、分け隔てなく存在している。
新しい家の骨組みが出来た時に、上から餅をまく行事があって、それを建前と呼ぶわけだが、その餅を拾って持ち帰った。母が、この餅は焼いてはいけないと言った。家が燃えるからねと教えてくれた。子供心に僕は、では誰かがこの餅を焼いたら新しい家が燃えるのだろうかと思った。

新しい家に住みながら、古い家の記憶、間を繋ぐアパートの記憶、それらが自分と一緒に引っ越してきた。覚えている限り一番古い記憶は前の家の玄関で、僕は一人で遊んでいる。冬で、おそらく二月だったと思う。兄は遊びに出掛けている。母は居間のこたつで眠っている。そのお腹には間もなく生まれようとする双子の弟が収まっている。冷たい石造りの玄関、その上に米の袋を敷いて僕は遊んでいる。外はしんしんと雪が降っていて、積もる雪が全ての音を奪っている。無音ではなく、音が吸われているのが分かる。その記憶が、新しい家の玄関に重なっている。雷と大雨の日に家に一人でいて、泣きながら、どうか許してくださいと祈った。恐ろしくて仕方がなかった。神を感じた。悪いことはしないからやめてくださいと願った。

生まれた時に時間を巡る旅に出て、今もその途中にいる。大体いつも時間のことを考えている。母が今死にかけている。僕らの家や病院で、一人眠る母のことを考える。母とたくさん話をした。母の時間に触れた。これから何があっても、それを思い出せればいいと思う。覚えるということと、思い出すということを、できれば死ぬまで繰り返したい。肉体とは別の所に魂があって、それは記憶であり時間なのではないかといつも考える。歴史と記憶に触れることが、その人の魂の表面に触れることのように思う。時間を巡る。立っているだけでそれを感じる。歩くたびに積み重なる。街、家、建物、文化、人々の営み、くだらないこともありがたいことも、大切なことも不要なことも全てがただ地層のように積み重なっていく。その中でできれば、善良でありたいと願う。そうやって時間を巡っていく。誰にでも等しく訪れる時間の中を泳いでいく。

時間を巡る。

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