どうも、須貝です。大変ご無沙汰しております。
2022年も半分以上終わったのに、なんとこれが今年初の投稿になります。ご容赦ください。
あまりにも間が空いてしまったので、前の投稿から今までの僕がどう過ごして何を考えていたのか、全てを振り返るのはちょっと難しい気がするのですが、それでもつらつらと雑記を書いていこうと思います。例のごとくかなり長くなりますが、お付き合いくださいませ。
○Mo’xtra Archive『912・3R/3C・ス』について
もう7ヶ月以上前なので今さら感がありますが、Mo’xtra Archive『912・3R/3C・ス』、無事終演いたしました。ご来場くださった皆さま、応援してくださった皆さま、そしてクラウドファンディングでご支援くださった皆さま、誠にありがとうございました。2020年の公演中止から1年と少しの時間を経て、キャスト・スタッフ何事もなく終えられまして、本当によかったです。『リバース,リバース,リバース!』も『サイクルサークルクロニクル』も好きな作品なのでまたやりたいし、『ファーファーファーファー、ファーラウェイ』はもう何度もやってますがまたやりたいと改めて思えた。
作品を書いた当時の自分や一緒に作ってくれた仲間に感謝しつつ、今回一緒に創作してくれた仲間にも感謝しつつ、あと何度こうやって作品を作れるか分かりませんが、一つ一つできるだけ真摯に作れるように心がけたいなと思います。そうできなかった時はちゃんと修正できる自分でもありたい。
この公演が実はMo’xtraという企画のちゃんとした初回の公演ということになるのですが、monophonic orchestraから地続きなので、そこまで新しく何かをしているぞ!という感はなく、でもやはりやっと旗揚げを終えたという安心感もあります。
これは再演をやってみようという企画だったわけですが、もう一つ、若手と仕事をしてみたいという意図もありました。「コロナ禍で活動の場を奪われた若手を支援する」という表看板を掲げていたのですが、個人としてはもっと単純に気軽に、若い方は何を考えてお芝居をやっているんだろう、どういう風に生きているんだろうということを知りたくなって。自分ももう世間的には若手といわれる立場を抜けつつあり(その実感はいつも全然ありませんけど)、継承する立場かつ育成していく立場になったことを考えると、今やった方がいいような気がしたのでした。
monophonic orchestraは2010年から2018年まで僕が主宰を務めていたユニットなのですが、須貝英の脚本家・演出家としての挑戦の場という意味合いが強かった。特に脚本家としての挑戦という面が強かった気がします。それに対してArchiveは演出家としての挑戦の場、そして俳優の挑戦の場にしたいという意図が強かったので、既に脚本がある作品をやろうと考えたとも言えるかもしれません。
『リバース~』は僕が考える盤石のメンツが若手である寺田さんを支えるという構図で、これはもう本当にありがたかった。それぞれの化学反応でいい作品が作れたと思います。『サークル~』はそれぞれバックグラウンドが違うので座組を作るのが大変だったけど、最終的に皆が忌憚なくやり取りできてて、それがすごく良かったなと思います。例えば5年後や10年後に、また何かの現場で一緒になってこの時のことを振り返れたらいいな…などと思っていましたが、既にまた一緒の現場になってるメンバーもいるから、それはそれでいいよね。
○Mo’xtra Produce『グリーン・マーダー・ケース×ビショップ・マーダー・ケース』について
そしてこちらも既に終演から2ヶ月以上経っていますが、5月19日にMo’xtra Produce『グリーン・マーダー・ケース×ビショップ・マーダー・ケース』も無事終演いたしました。まだまだ不安定な毎日が続く中、それでも会場にお越しいただいた皆さま、本当にありがとうございます。そして遠くから応援してくださった皆さまも。多謝です。
作品についてはTwitterのスペースでもたくさん話させていただきましたし、今さら何かを語っても野暮になるような気がするほど作品に満足がいっているので(もちろん反省点はたくさんありますが)、また別の機会に語ることがあれば語らせていただくとして、企画全体への感想を少し。
休憩込みで2時間半に迫る作品を同時に2本上演するというのは元々背伸びをした企画というか、一人でやるもんでもないのですが、皆さんの力を借りながら一人でやってみました。吉祥寺シアターというのは決して大きな劇場ではありませんし、総ステージ数14ステージというのも7ステージずつなのでそれほど多くはないのですが、この公演くらいの規模が一人で企画できる最大規模だと僕は思っていて、これを超えるともう一人ではできないというか、大きな事故が起こる可能性が高まってしまうというか。
もちろんキャストやスタッフの力を存分に借りてるのでそういう意味では全然一人ではないんですけど、責任を一人で負う限界というか。単純にお金の話なども鑑みると、ひと公演で動くお金の規模が30代サラリーマンの平均年収2.5年分くらいになってくるわけで、そうするともう、僕程度の人間は怯える金額になるんですね。
脚本・演出家としても同時上演というだけで大変なのにそれがさらに再演だったり新作で続編だったりミステリだったり出演者が27人いたりと盛り沢山なわけで、結局何が言いたいかというと、「本当に成功するのだろうか?」という疑問がずーっと、劇場を予約した2年前からずっと心のどこかにあった。その恐怖と闘い続けた日々でした。あまりにも無茶ではないか、と。それでも自分は、40代に入る前に、これをやらねばならないという使命感に燃えていました。自分のためでもあり、この産業全体のことも考えていた。自分の仲間たちのことも考えていた。近距離と中距離と長距離で成功する必要があると思っていた。
自分のことで言えば、誰しも歳を取っていくわけで、その摂理から自分だけが逃れることはどうしてもできず、出来ることが増えれば同じだけ出来なくなることも増えていくわけで、体力がある内に無茶をしておかねば、将来それが必要になった時に飛び込めない自分になってしまうのではないか、現在地に安住して、自分がなりたかった人間から離れていってしまうのではないか、そういう漠然とした不安があった。
仲間たちに関して言えば、彼らに演劇から離れてほしくなかった。舞台に立ち、関わり続けてほしかった。そのための、純粋に演劇をやる喜びに満ちた企画でありたいと思った。
演劇という括りで考えると、なぜ演劇はこの世界になければいけないのか、何が演劇でできるのか、俳優という人たちがいかにすごい存在なのか、舞台スタッフという人たちがいかにプロフェッショナルの集まりなのか、物語がちゃんとあるということがいかに大事なことなのか、演出一つでいかに作品の印象が変わるのか、ライブでなければいけない理由とは、会場にお客様がいて、同じ時間を共有することがいかに文化的に素晴らしいことなのか、その全てを、コロナ禍という世の中の中で、文化後進国の日本という地域の中で、怒りを込めて証明しなければならなかった。
だからこの企画は、自分があと10年この産業で踏ん張るための、関わる人たちがあと10年この業界にいてくれるための、観てくれた方にあと10年劇場に足を運び続けてもらうための、そういう企画だった。そういう意味で、反省点はあれど、僕はその闘いにある程度勝ったのではないかと、勝たせてもらったのではないかと、そう考えています。これは僕の感想なので実際どうかは皆さんの判断にもお任せしなければいけませんが。
なんだかたくさん御託を並べましたけど、僕が今回この企画を遂行する上で気に掛けていたことは実は一つしかなくて、それは大部分で達成できたんじゃないかなと思う。若干そうできなくて悔やまれる部分はあったけど…。本当にたった一つの、合言葉のようにモットーのように教訓のように胸に刻み付けていた言葉。
「全ての人に敬意を払う」
それだけだった。演劇を愛して関わってくれる全ての人を尊敬することだった。演劇を愛さない人も含めて、あらゆる全てを尊敬したかった。ないがしろにせず、取り残さず取りこぼさず、人間として公平に扱うことだった。僕は、世界は単純にそれだけでもっと上手に回るんじゃないだろうかといつも思っている。全ての人の命と存在に敬意を払うことが、究極的に一番大切だと考えている。
なぜ『グリーン・マーダー・ケース』を再演しようと思ったかというと、実はうまくいったからとか評判が良かったからとかだけではない。コンテンツとして強いなと思ったからだけでもない。2017年の初演時、作品を作っていく過程で、あまりに自分の限界を超えた企画だったために(出演もしていた)、関わる人をないがしろにしてしまった局面が多々あったと、その自覚があったからだ。それが死ぬほど悔しかった。二度とそうあってはならないと思った。たとえ自分の身が滅んだとしても、それだけは二度とやるまいと思った。もう一度チャンスがほしかった。ずっと悔しかった。
あれから5年が経って、自分がこんなにも成長していたのだと自覚できたことは、僕の中で一つの誇りとして残り続けると思う。多分僕がやったのと同じだけのことを同じクオリティでやれる人は日本に何人もいないと思う。でもそこに留まることなく、ずっと歩き続けなければならない。より良い人間であるためには歩みを止めてはならない。良い人間ではないからこそ、より良くあることを目指さなければならない。
○馬喰町から錦糸町まで歩いた日のこと
前述の『グリマダ×ビショマダ』では企画が始まってから公演が終わるまで、あらゆる局面で難しい判断を迫られた。今の自分でなければ、色々な方や作品や状況に鍛えてもらった自分でなければ乗り越えられなかったと感じる。たとえば一年前でも二年前でもできなかった。そしてその自分の側にあのキャスト・スタッフがいてくれなかったら、完走できなかったと感じる。
その中でおそらく、最も難しい判断を下した日があった。その日僕は泊まっていた馬喰町のホテルから錦糸町の稽古場まで、25分ほどの道のりを歩いた。とてもいい天気で、稽古がなければそのままピクニックに出かけたくなるような陽気だった。
その前日、僕は5月15日(日)の19時に追加公演を実施するという決断を既に下していた。俳優たちや各事務所、スタッフたちにもその意向を伝達済みだった。元々、チケットの売り上げがある程度順調だったらその時間で公演を行おうと意図してのスケジューリングだったし(15日が11時/15時っていう変なタイムテーブルだったのはそのせい)、予算にも実は組み込んでしまっていた。ので、半ば予定通りの追加公演だったのだが、やると決断した後も自分の中に何か煮え切らない思いが、どこか遠くで小さく警鐘が鳴っているような、そんな気がしていた。
具体的に言えば、コロナ禍であることや、平日のステージにはまだ空席があることが気になっていた。加えて、舞台監督の岩谷さんに言われたことが引っかかっていた。劇場入りしてから初日が開くまでのスケジュールがかなり厳しいということ(まあ2時間半の2公演なので、推して知るべし)、追加公演を入れるとスタッフに休みが全くなくなってしまうこと。特に後者の言葉が強く残った。ちなっちゃんは「やるとなったらついていきます!」とカッコよく言ってくれたし、それに乗っかるつもりでいたのだが、本当にそれでいいのかと思った。
それで、決断を下した後も、悶々と考えていた。稽古場が自宅から遠かったので近くのホテルに滞在していたが、稽古から帰った後も一人、部屋で考えていた。ぼんやりとエクセルで予算表を眺めたり、並行して追加公演決定の文面を考えたりしていた。
翌日の朝になっても気持ちは晴れなかった。電車で素直に稽古場に向かう気分になれず、歩いて行くことにした。街の真ん中をかもめが飛び交う様子を横目に、両国橋を渡って隅田川を越えた。碁盤目状に整えられた美しい街路をひたすらに歩いた。歩きながら僕は、こんなことをしたかったのだろうかと考えた。誰かを蔑ろにしたり、酷使したり、好意に甘えて搾取するようなことをしたかったのだろうかと考えた。母のことを考えた。母はなんと言うだろうかと思った。今年の1月に母は亡くなった。亡くなる前、幸運にもたくさん話すことができた。今の自分の中に、「彼女はなんと言うだろう?」という判断基準が生まれた。そういう在り方で、たまに夢の中で、彼女はまだ生きていた。自分がどういう人間になりたいのかと考えた。彼女に対して誇れる自分でありたかった。
歩き始めてあまり間を空けず、いや、やめよう、とほとんど決めていたような気がする。しかしこれが、公演中で最も難しい判断だった。稽古場に着くとすぐに制作の佐野さんに話をして、各所に連絡して追加公演はやめることにした。
他人からしたら本当に大したことはない、わざわざ話すようなことでもない話だ。その程度の判断に何を迷うかと言われるだろうし、損失と言ったってたかだか数十万の話である。ただ、一つ一つの判断を下す時、できればこのくらい丁寧に考えられる状況を常に作りたいと思った。何かを取りこぼしたり蔑ろにしたりしてしまう時、そこには大抵時間とお金の問題があり、もしかしたらパワーバランスや搾取の構図があるのかもしれない。大事なことを判断する時、時間やお金のことを適度に無視することも必要かもしれない。その潮目を正確に読めるようになりたい。できれば近くに、自分の判断にノーを言う人もあって欲しい。常に、何が正しいかは分からない。常に間違う危険が潜んでいる。それは死ぬまで変わることはないだろうと思う。その中で判断をしていく。その時にできれば、自分を自分という理由だけで甘やかさないように、公平でありたい。間違えるかもしれない。できればそれを恐れたくはないし、間違えた時にできるだけ早く気付き、できるだけすぐに修正したい。それが自然にできるようになった時、また違う景色を見ているような気がする。
○好きを仕事にすること。
何年前のことかもどうしてそんな話の流れになったのかも忘れたのですが、確か玉置玲央くんに、「3億円と引き換えにしても手放したくない自分の能力は何か?」みたいな質問をされて、確かぽんちゃんこと飯田裕幸くんもいたと思うんだけど(ぽんちゃんがなんて答えたかは残念ながら忘れてしまったんだけど)、僕は「書くこと」と即答した気がする。
その時は主に俳優をやってて、あんまり書く仕事はしてなかったので、れおくんが意外そうな顔をしていたのを覚えている。僕にとっては書けなくなった段階で死んだも同然なので、できれば文章を練ることができなくなったりそれを外に出すことができなくなった段階で殺してほしいなと思っている。
この「書くこと」には別に、作品として形にするとか世に出すとかそういう立派な意味だけが込められているわけではなくて、例えばちょっとした文章、ここに書いているような、や、メールや手紙やLINEやTwitterなどの誰かのための文章、たまにメモ帳に書きつけるささやかな言葉たち、そういうことも全て含めて、いくら積まれてもこの能力は手放したくない。何かを書くという行為が好きなんです。
好きを仕事にすること、を、たまに考えます。好きを仕事にするのはなかなかに難しくて、好きだと思って始めたことも、仕事としてやっていく内に気持ちが離れていってしまうことがままある。演劇に携わってもう18年くらいになりますけど、僕よりもはるかに演劇を愛していた人たちが離れていってしまった。そういうことは本当によくある。
今、自分は書くことで、なんとかかんとか生きている。嫌なこともたくさんあったけど、書くこと自体は嫌いにならなかった。思うに好きを仕事にすることは、もっと深い意味で言えば、狂おしく好きなことは仕事になるということなのかもしれない。本当の意味で好きであれば、しがみついてでも離れないものなのだなと感じる。
決してそれは、誰かの好きの総量や質を否定しているわけではないし、離れていくことを批判しているわけでもない。人それぞれである。ただその一言に尽きる。誰にも誰かの生き方を否定する権利などない。でも、こと芸術に類することに関しては、どうしてもそうなのだなと、だからこそ狭き門となるのだなと思う。
僕は俳優をやっていた時期も長くあって、今でも俳優は別にやめてはいないんだけど、そして確かに一時期は俳優で食べていこうと考えていたんだけど、好きだったんだけど、いつしか離れてしまった。それは多分、やはり、残念ながら、そのくらいの「好き」だったんだろう。なぜなら自分は、演ずるという能力は3億円で手放してしまうかもしれないから。悲しいことだし、何度も言うけど演ずることは大好きだし、人に期待される時もたまにある。でも、仕事にするということは、仕事の質にもよるけど、やはりどこか、そういう線引きを強いてくるもののような気がする。
誰かの不幸や苦労をニュースや雑談や又聞きのエピソードとして聞く度に、「これは作品になる」と真っ先に考えるような人間は、おそらくおかしいのだと思う。人として下賤で下劣だと感じる。でも、別に倫理なんかどうだっていい。身近な人を傷つけるかもしれない。もしかしたら距離を取られる結果になってしまうかもしれない。それでも、それを形にすることを止められない。世の中に巣食う見たこともない誰かが決めた価値観なんか関係なく、できれば自分が死ぬほど面白いと震えることを紙の上に書き落として、それを世界で最初に目撃したいのだという、その欲求がいつまでも尽きずに自分を突き動かしている。自分を良い書き手と思ったことはそれほどないけど、多分自分は一生書くことはやめないだろうなと思う。
そこまでしなければ好きを仕事にできないとは決して言わないが、少なからずそういう部分はあるだろうなと思う。そしてそういう人間は見た目に分からなくとも静かに狂っているのだと思う。
○一日の目覚めと眠りについて
毎日を繰り返す私という個体が、朝、目を覚ました。今日生まれた。夜、眠りにつく。これで死ぬ。もう今日で死ぬ。そして運良くか悪くかまた目を覚まして、新しい今日を過ごす。
毎日を最後の一日のように生きよとある人は言う。そうしたら泣き暮らして過ごしてしまいそうだ。今日目を覚まして、あと一年くらいで死ぬよと言われて、そうしたらちょうどいいのだろうか。今日を、今を、この時間を、少しでも先に進むために過ごしたくて、でもだらだらと立ち止まる自分も確実にあって、そいつも許してあげないといけない。一つでもいいから新しいことを知って、昔触れた何かを思い出して、ああ、今何かが私の中に生まれた、今私の中の何かがよみがえった、ただただそういうことを繰り返して、例えばある時、最後の朝や最後の夜に、今日は何をしようかなと目をこすり、明日は何をしようかなとまどろみながら、そうやって生きることを終えたいものだと思う。
地球という私たちを乗せる天体が、どうやら毎日回っているらしい。意味のある日も意味のない日もある。良かった日も悪かった日もある。人を傷つけた日も傷つけられた日もある。振り返って後悔する日もある。振り返って誇りに思う日もある。なんでもあり得る。どんな評価もあってしかるべきである。そしてそれらの全てを感じるあなたや私には、確固とした意味がある。価値がある。意味はあったのだろうかと、自問することだろうと思う。自分が生まれてきたことや、人生や、存在に。あなたや私に意味はある。たとえ無意味な日を過ごそうとも。毎日死んで毎日生まれていく私たちには、抑え切れない意味がある。たとえようのない意味が。誰にも奪われない意味が。何度でも何度でも何度でも、擦り切れるまで、その事実を訴え続けなければいけない。
一日の眠りと目覚めについて考える。あなたや私を解き放つように目を覚まし、あなたや私を抱きしめるように眠りにつく。それらの営みの全てを文化と呼んで、たまらなく愛したい。踊り出したくなるような朝に、泣き出したくなるような夜に。
○次に控えているのは11月2日(水)初日、新国立劇場小劇場にて上演される『私の一ヶ月』です!脚本書いてます。詳細は次回出演の項にも書いておきます。今までの総括で、代表作になるだろうなあと思います。素敵なキャストとスタッフと稲葉賀恵さんの演出を観ていただきたいです。お楽しみに。
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