どうも、須貝です。
突然ですが、趣味の悪い親の子供は、やはり趣味が悪くなるものなのだろうと思います。
「ヤンキーの子供の長い後ろ髪」なんかは結構認知された、誰もが好んで用いるギャグですが、そういう子供が大人になってから、骨董遊びに興じるような趣味人(趣味悪い掛け軸ばっかり騙されて買わされるような人ではなく)になる可能性はほぼゼロに近いわけで…あくまで個人的な意見ですけど。
いい悪いは別として、親の生活や趣味というものはどうしても、子供に反映されてしまうものだと思います。
今日観に行ったイベントで、プロレス好きの親子を見かけたのですが、子供の方は母親の手製らしいマスクを被っていました。
普段、僕が全くプロレスを見ないのでちょっと引いてしまいましたが、茶道の趣味が高じて自宅の庭に茶室を作ってしまうというのも、ある点から見れば同じことなのかもしれません。
話がそれましたが、親の趣味や趣向といったものは子供にも確実に反映されるはずのものであると思います。
誰もが皆、真っ白な状態にただ吸収するだけの時期(それが例えば幼少期で)を経て大人になるわけですから、そこで純粋に親の触れる文化に触れたとしたら、やはりそこから脱するのは難しくなるものかもしれません。
僕の父はかなりオシャレ好きな人なのですが、そのおかげで兄も僕も服装には気を遣います。聴く音楽などは今では全く違いますが、元となる音楽的な嗜好のようなものは、多分似ているんじゃないかと思います。
で、何が言いたいかというと、趣味の話のみに留まらず、親の子に対する教育というものはたぶん、「何かをやらせる」ことではなく、「何かをやってみせる」ということなのではないかと思ったのでした。
常に上下白のジャージのお父さんが、「もっとオシャレしろ、ポール・スミスやブルックス・ブラザーズに身を包め」と言っても説得力の欠片もないわけです。
夕食に毎晩カップラーメンを出すお母さんが、「グルメなものを食べて舌を肥やしなさい」なんて言ったとして、もし将来その子が裕福になっても、ただ高いだけの物を食べて満足する人にしかならないかもしれません。
オシャレをさせたかったらオシャレしてみたり。カッコよくなって欲しかったら自分も努力してみたり。カワイくなって欲しかったら、グルメになって欲しかったら、ピアノを習って欲しかったら自分もピアノを習ってみたり。
僕自身、子育てをしたことがあるわけではないので、あくまで考えに過ぎませんが、そんな気がするのです。
自分が輝かなければ、周りも輝いて見えないものなのかもしれません。
燻っていると感じているのだとしたら、それは果たして周りが自分をダメにしているのか、それともダメな自分が周囲の環境を呼び込んでいるのか。自分の中で常に抱いていたい観点のような気がします。