定食屋の親父は、もう定食屋の親父ではない。今では別の仕事をしている。
どんな建物でも大抵そうだと思うが、大学施設にも必ず掃除のおばさん、おじさんとでもいう人たちがいる。掃除をしたりゴミを回収したりトイレットペーパーを補充したりしてくれる人たちのことだが、定食屋の親父も、今ではこの仕事に就いている。
なぜ彼が、どういった経緯で今の仕事に従事しているのかは分からない。私が知っている限り、親父は既に掃除の親父だった。私は定食屋の親父だった頃の親父を知らない。
ただ、聞いた話によれば、これも既に誰に聞いたのかさえ思い出せない朧げな話ではあるし、勝手に私が記憶を改竄している可能性もあるが、とにかく聞いた話によると、親父は元々私の大学の近くで定食屋をやっていた。ところがそこが潰れてしまった。そこで新しく職を探す時に、学生相手に仕事をしていたから学生が好きだったのかもしれないが、大学の仕事に就くことにした。常連だった大学職員が紹介したという話もある。
信憑性に乏しいにせよ、私が聞いた話はこんな具合だった。その話に拠れば、親父は選択の余地がなく嫌々今の仕事に就いたのではなさそうである。しかし、黙々と働く親父の表情は、いつも不機嫌である。
親父が主に働いている場所は、大学のキャンパス内ではない。私が通っていた文学部のキャンパスのすぐ近くに、十一階建ての学生会館があって、そこには様々なサークルの部室や会議室などが入っている。親父はそこで働いている。
学生会館の地下には劇場がある。長方形の箱型の大きな部屋があるだけなのだが、私のように芝居をしている学生たちは、よくそこで公演を行った。さらに、地下には作業場のような場所もあって、公演の準備期間には、私たちはそこでよく大道具を作ったものだった。
そうなると自然、親父によく会う。
先にも述べたように、親父は常に不機嫌そうな顔をしている。元々そういう顔立ちなのかもしれないが、それだけではないようにも思う。自分の所に飯を食いに来ていた学生たちと、芝居やら踊りやらオーケストラやらの稽古に明け暮れる学生たちの違いにうんざりしたか、好き勝手振る舞う生意気なガキ共に辟易したか、その辺りはよく分からない。もしかしたら、自分が好いていた学生たちもここにいる学生たちも、元を辿れば同じで、今自分が目の当たりにしている学生共の方が、どちらかと言うとその本性に近いらしいということに気付き、失望したのかもしれない。
親父が他の掃除係の人と話している所も、私は見たことがない。親父はいつも一人である。他の掃除係の人たちが話している場にも、親父は参加しない。親父は常に孤独である。
理由は分からなかったが、どう見ても親父が好き好んでこの仕事に就いているとは思えなかった。その年齢で再就職は最早出来ないから、仕方なく今の職に就いているといった程度の執着しか感じない。
私たちはよく親父に出くわした。私たち芝居をしていた学生たちは皆、親父とは顔見知りだったはずである。しかし誰もその名前は知らない。親父も恐らく、私たちの名を知らない。言うなれば、私たちの誰にとっても、親父はどこにもいない隣人だったのである。
親父はよく、木材の捨て方や作業場の使い方に関して私たちに注意した。その言い方が突っけんどんで不機嫌そうで叱られているような気にさせるものだったため(事実叱られたことも何回かあったが)、仲間内でも彼を苦手に思ったり、反感を持って食って掛かったりする者がいた。
しかし、素直に受け止めれば、親父は優しい。その一面が、やはり親父は学生が好きなのではないかと私に思わせた一因だった。普段の不機嫌はただの人見知りで、内心怒るつもりなど、彼にはなかったのかも知れない。
親父は気分屋なのかもしれない。時々気紛れで思いも寄らない親切をする。
ある時、急に雨が降った。作業場には屋根がないため、私たちは大急ぎで屋内に逃げ込まなければならない。もちろん、製作途中の大道具も運び込まなければならない。そんな時、親父は、どこから持って来たのかは分からないが、屋内の一面にブルーシートを敷いて、私たちのために作業スペースを確保してくれた。
それも仕事だったのかもしれないが、私たちが礼を言うと、親父は照れ臭そうに笑った。親父が笑ったのを見たのは、その時だけである。
ついこの間、新たな噂を聞いた。親父の定食屋が潰れたのは、学生会館が建てられるに当たって、立ち退きを迫られたからだというものだ。冷静に考えればこれは有り得そうもない。学生会館の立地を考えれば、そこに定食屋などあったはずはないのだ。親父の定食屋が潰れたのは、大学の敷地が拡張し、新たに施設が建てられることになったためだという話も聞いた。これは大いに有り得そうである。
それらの話は俄かには信じ難いが、もしそうだったら、と考えてしまう。もしそうだったとしたら、親父は自分の店が潰れる原因を作った物の中で、働いていることになる。体制に吸収されたとも、懐柔されたとも言える。情けを掛けられたのかもしれない。
しかし私には、親父のあの不機嫌な顔が思い出される。店を殺した憎むべき相手の腹の内で、黙々と仏頂面で掃除機を振るう親父。馬鹿げていると思うが、どこか心を揺さぶられる、英雄的なものを感じた。虐げられた者の、静かな反骨の気概を感じた。
最近久し振りに大学へ行って、道で親父を見かけた。自転車に乗ってどこかへ向かっていたようである。
すれ違った親父の表情は、相変わらず不機嫌だった。
~つづく~