二人の画家.1


どうも、須貝です。

長い美術の歴史を見てみても、女性の芸術家で名前が残っている人というのは、あまり多くないような気がします。西洋然り、日本然り、私たちが画家と言って名を挙げる人の、恐らくほとんどが男性なのではないかと思います。

貴族のいいとこの奥様や娘なんかには、趣味で絵を描いていた人はたくさんいたそうで、現在名の残っている画家なんかも、そういった奥様方に絵を教えることで食い繋いでいた人が結構いたらしいです(と、聞いた覚えがあります。おぼろげな記憶ですが)。

しかしそれはあくまで趣味、名を為すまでに至らなかった人の方が多かったんですね(日本で言う所の落合婦人を当てはめて頂ければ、あまり間違いないかもしれません)。やはり歴史に多く現れるのは、男性のようです。

なぜかは分かりませんが、画業といった芸術一般が職業として成立した段階で、男性のものになったのかもしれません。

ソフォニスバ・アンギッソラという人がいます。この人は一般的にルネサンス期の最初の女流画家と言われています。この人も貴族の娘さんで、宮廷画家としてフェリペ二世(スペイン最盛期の国王。マドリードをスペインの首都にした)に仕えたほどの人。女流画家の先駆けと言ってもいいかもしれません。ミケランジェロとも親交があり、その後の女流画家の地位を高めた人です。

他にも例えば、あの印象的な自画像で有名なフリーダ・カーロもいますね。僕、美術史科だったくせに、彼女を知ったのは卒業後。いかに勉強していなかったかが分かります。

日本で最初の女流画家と言われているのが山下りんという方です。この人は有名なイコン画家で、彼女自身も正教徒なんですね(そもそも、イコンを描くことが許されているのは正教徒だけなんで当然なんですが)。

この人が面白い人で、ほんとはイコンあんまり好きじゃなかったんですって。イタリアの絵に憧れていたのに、留学したのはロシア。そこで学ばされたのがイコン。結局五年いる予定だった所を二年で帰国したそうです。

彼女の師匠というのがフォンタネージという人なのですが、彼はイタリアの画家。バルビゾン派の影響を受けた人で、浅井忠や五姓田義松、山下芳翠も彼に学んでいます。彼女がそちらに興味を抱いたのは当然と言えるでしょう。

彼女も帰国後は伝統に縛られぬ華やかなイコンを描いています。

話が、逸れました。

そんな数少ない女流画家の中で、僕が好きな画家が二人います。

~つづく~

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