どこにもいない隣人~かぎしっぽ編~


中野というのは、猫の多い街である。

どの猫も広さに違いはあれ、活動範囲とでもいうか、縄張りに近い物を持っているらしく、今住んでいる家の近くで何度か同じ猫を見かけることがよくある。どの猫も野良だ。

気性の激しい白い猫がいる。体の大きな薄汚れた猫で、よく他の猫とケンカしている。

若い二匹の三毛猫の兄弟がいる。しなやかな体付きで、もしかしたら双子なのかもしれない。仲良さそうに近所の公園でじゃれている。

元は飼い猫だったらしい茶色の毛をした猫がいる。彼は(恐らく男であろうと思う)どことなく優雅とでもいうかおっとりしているとでもいうか、あまり生きることに執着していないような、彼が餌を探して辺りを徘徊しているのを見たことはない、ただゆったりと歩いている。

それら多くの猫の中には、“かぎしっぽ”も含まれている。

かぎしっぽは黒猫だ。混じり気がない。その名の由来はそのまま、尻尾がカギ状に曲がっているからである。僕が勝手に付けた。

バンプ・オブ・チキンの曲に『K』という曲があって、その中に出て来る猫も黒猫でかぎしっぽであるが、そのモデルになったのではないかと思うくらい、そっくりである。

その尻尾は、生まれつき曲がっていたのではないように見える。事故か何かに遭ったのかもしれないが、はっきりとほぼ垂直に曲がっている。彼はいつも一人で、夜は大体寿司屋の前か、もっと遅い時間には近くのコンビニの前にいる。

この猫は歌の中の猫と違って、とても人懐こい。夜、彼を見かける時は、大抵誰か人が撫でている。家に帰るサラリーマンだったり、散歩に出たカップルだったり、マンガを立ち読みに来た一人暮らしの男性だったりと様々ではあるが、道行く人が立ち止まって彼を撫でて行く。彼も逃げない。

彼がそうやって人と馴れ合うのは、どうやら餌をもらうためのようである。よく分からないが、そうやって生きているようだ。腹が減れば、そうやっていつもの場所に出掛けて行って、愛想を振り撒き、運が良ければ食べ物にありつける。何とも人間的で都会的な猫である。

そういう猫が少なくはないことも、もちろん知ってはいる。しかし彼には、何か特別な感情を抱く。一人うなだれて歩く時のその薄ら寂しい様子だとか、愛想を振り撒いてはいるが、決して屈しているわけではなく、生活のために強かに生き抜こうとしているような、そんな風に見える。

どこの国の誰が行った研究だったかはすっかり忘れてしまったが、様々な国の人たちに、「好きな鳥は?」というアンケートを行ったそうだ。

例えばアメリカであれば「鷹」や「鷲」といった具体的な鳥の名前が多く出てきたそうだが、日本では、「夕焼け空に飛び去って行く雁の群れ」や、「朝一番の鶏の鳴き声」といった、ある限定された条件における鳥、連続性のない儚い情景が多く挙げられたそうだ。調査を行った研究者は大層困ったそうである。

どことなく、日本人らしい気がする。

僕は、「おじいさんに連れられて散歩する年老いたパグ」が好きである。パグが好きなわけでも散歩している犬が好きなわけでも、ましてや散歩しているおじいさんが好きなわけでもない。甲州街道を自転車で走っていた時に見かけたその組み合わせが、何とも可愛らしくて愛らしくて、和やかだったのだ。

欧米人は形に萌えるが、日本人はシチュエーションに萌えるのである。

さらに言えばもしかしたら、別の場面でおじいさんに連れられて散歩する年老いたパグを見たとしても、あの時と同じ感情を抱いたかどうかは分からない。もしかしたらあの時あの場で見たそれだけが、僕の琴線に触れる犬だったのかもしれない。

もし今度「好きな猫は?」と聞かれたら、「食べ物を得るために人に愛嬌を振る舞っているが、実はどことなく反骨精神を持った気高い、猫としての誇りを失ってはいないかぎしっぽの黒猫」と答えようかと、少し思った。

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