彼は決して、真面目な学生というわけではないようである。
分かる人には分かってしまうのだが、僕は今水道橋のとある大学の図書館で働いている。時々教授や教員や通信教育を受ける学生の利用があるにはあるが、基本的には僕と大して歳の変わらない若い学生相手の仕事である。無論ストレスも溜まるが、ひたすらクレームの対応をする仕事や、深夜のスーパーでただ品物を並べるような狂いそうになるほど単調な仕事、自分の父親ほどの年齢の欲求不満そうな親父の愚痴を聞かねばならないような仕事よりは、よっぽど楽だとも思う。
さて、飲食店などのそれと同じく、この図書館にも常連とでも言った人々がいる。金髪の兄ちゃんもその一人だ。
彼は背丈が大きい。体つきもがっしりしていて、しかも金髪にした髪の毛の、左側の後頭部の辺りだけをちょこんと結んでいる。柔道の谷亮子選手の髪型を中途半端に真似した形である。勿論、目立つ。
僕が図書館で働いているのは週に三回だけだが、彼のことは毎回見かける。たまたま彼が来る曜日と僕が働く曜日が重なっているだけの話かもしれないが(恐らく授業の時間割なども関係して)、たぶんそうではなくて、ほぼ毎日のようにいるのだろう。
金髪で大柄、そして若干B系の服装という外見とは裏腹に、実は真面目で勉強好きな学生なのかもしれないと当初は思っていたのだが、いや、実際そうなのかもしれないが、どうもそう単純に考えてしまっていいものではないらしい。
というのも、見かけるたびに彼は、寝ているからである。
自慢にもならないが、僕は高校生の頃、「勉強していたり、考え込んでいたりするように見えるが、実は寝ている」という寝方が得意だった。そう見える絶妙な角度を維持することと、気配を消すことが得意だったのである。本当に何の自慢にもならないが、彼もまた、同じ技術を持っているようだ。
館内を見回る際、彼を見かける。一見真面目に勉強しているように見えるが、前に回りこんでよく見てみると、寝ている。その逆もあって、寝ているように見えて、実はちゃんと勉強している。図書館では学校と違って、寝ているからといって起こして注意するようなことはもちろんしない。しないので堂々と寝てもらって一向に構わないのであるが、彼のその技術は、授業中に磨き上げたものがこうした場でも思わず出てしまうような、身体に染み込んだものなのかもしれない。
そんなことを一人で勝手に考えていたが、この前、彼はもしかしたら本当にただ寝に来ているだけなのではないかと思わされた。なぜなら彼が、図書館の机で枕を使って寝ていたからである。
誤解を招く言い方である。もちろん私たちが普段布団やベッドで寝る時に使用する、あの本格的な枕で寝ていたわけではない。それはさすがに注意するし、ただの変人である。そんなものを大学に持って来るような奴にまず友達は出来ない。そうではなく、手に付ける形の、ちょっとした居眠り用の枕とでもいうか、そういうものがあるらしく、それを使って寝ていたのである。
枕には変わりないから、やはりそれを持って来てまで寝ているというのはおかしいと言えばおかしいのではあるが、しかもその枕がクマを象った可愛らしいものであったから余計可笑しく思えたのだが、何かこう、諦めに似た気持ちが自分の中に芽生えるのを感じた。
寝ていない時は彼はもちろん勉強しているのだが、席を離れて仲間と喋っていることも少なくない。僕が働く図書館には、各階に談話室とでもいうか、ガラスの壁とドアで仕切られた場所があって、ソファなども置かれてちょっとしたグループ学習が出来るようになっている。
彼は仲間とよくそこにいる。何を話しているのかは知らないが、恐らく大学で学んでいることとは関係ない話だろうと思う。
彼がその仲間たちとちょっとした悪戯をやらかすという話を、僕は同僚のNという女性に聞いたことがある。僕たちの主な仕事の一つに、学生たちが閲覧した後の本を、本棚の正しい場所に戻すというものがある。Nさんの言うには、時々、戻しても戻しても、必ず同じ本が返却場所にあるのだという。本を返却する場所は一つの階に何箇所かあるのだが、その一つ一つの場所で同じことが起こるため、結構な手間ではあるようだ。
それが彼とその仲間たちの仕業によるという確証はまぁないにはないが、さすがにそれに気付かないほどNさんも抜けてはいない。しかし彼女は彼に対して特に嫌な感情を抱くということもなく、「笑顔が可愛い」などと言って、実におっとりとしている。彼も彼女以外の人にそういった悪戯はしないようなので、案外この二人は両思いなのかもしれない。ちなみにNさんは既婚者である。彼にとってももちろん年上であろうが、今ご主人と喧嘩中なのだそうで、他人の無責任な好奇心から、この二人に何かがあれば面白いぞなどと考えている下世話な自分がいる。のどかである。
どうも昔から、アウトローな人に惹かれるようだ。真面目一辺倒で悪さをする度胸もなく、反抗期すらもなかったからだろうか、中学生の時も高校生の時も、そういう人たちと好んで交わろうとした。カテゴライズするわけではないが、彼らの方が男気があってさっぱりと分かりやすくて好感が持てたし、一緒にいて楽だった。人は自分にないものを求めるのである。
学生時代のそんな時期を思い出して、少し懐かしくなった。