どうも、須貝です。
「若い頃に男は必ず、年上の女性に憧れることが一度や二度はあるものだ」、というのはある人に聞いた言葉です。そういうものでしょうか、世の中の若い男性の皆さん?
『人のセックスを笑うな』という本を読みました。松山ケンイチさんと永作博美さんの出演で映画化された小説です。元々日本の小説はあまり読まない、とここでも散々書いてきたと思いますが、最近はそれを取り戻すかのように日本のものばかり読んでいます。そもそも海外と日本という分け方をするのもどうかとは思ったんですが、仕方ないすね。
これは、主人公の青年が年上の美術予備校の講師と恋をする、という物語ですが、果たしてこれは恋愛小説なのか、と考えると、そうではない気がしました。これは青春の小説で、限りなく主人公の青年を描いた作品だと、僕には思えました。
僕自身は全然恋多いわけでもモテる訳でもありませんが、恋をしたり人と付き合ったりするということは、ほとんど無限に存在する人々の道というものがあって、そこを歩く過程ですれ違うようなものだと思っています。
恋、ということを考えた時、すれ違っている、という感覚が僕にとっては最も近い気がしました。違う方向を向いて歩いていれば、凄い勢いで離れていくのです。
基本的にすれ違っているからこそ、時々極めて近付いた時に心が躍って、盲目になったり愚かになったりするものなのではないかと思います。では愛とは、と考えると、また分からなくなりますけど。
長い人生の中で誰かと出会うということ、一時期を過ごすということ、それらともまた違って、恋という奴は、どうしようもなくすれ違いなのです。お互いの思いが釣り合わないということになぜこれほどまでに苦しまなければならないのか。分かりません。本当は一緒に歩きたいはずの道が、決して一緒には歩けないものだと悟らされるからでしょうか?
勉強した分成績が上がる、みたいな感じで、自分が好きになった分だけ相手も好きになってくれる、みたいなものであれば、とても簡単なのに。と。
この本はそういう本だと僕には思えました。勝手に、そう思いました。
この本の何がいいか、それは終わり際です。とてもあっさりとしていて、終わるのと一緒に自分の心の中の何かまで持っていかれるような、切ないラストだと僕は思っています。
この小説は女性の書いたものですが、決して登場人物の女性に感情を寄せてはいません。女というものの不可解さを、不条理さを、男の中に入って見て来たかのように、描きます。
タイトルも好きです。人のセックスは笑っちゃいけない。何かそれはどこかタブー意識みたいなものに触れている気がして、そしてそのタブーっていう考え方こそが、日本的なものなんじゃないかと僕には思えるんです。
アイツのセックスはどうだった、こうだった、みたいな話をしている奴は、男も女も不快です。人の秘めとかなきゃいけない部分を勝手に晒したり、ずかずか踏み込んでくる人は嫌いです。
この本を読んで感情移入できたのは、折りしもフラれていた年上の人のことを引き摺っていたからだけではないはずです(たぶん)。
恋に破れると、もう決して恋はしないと思うのに、どうして半年もすると忘れちゃって、また同じ過ちを繰り返すんでしょう?バカなんですか?
ちなみに僕の憧れの年上の人は、相も変わらず小林聡美さんです。