フランス旅行記・その8


どうも、須貝です。

もういい加減、フランスで本番を迎えてから一ヶ月が経ってしまいました。早い。それでもまだその頃のことを語っているなんて、一人だけ進歩がないような取り残されたような時間が止まっているような気がしますが、逆に言うと、一ヶ月かけても語り尽くせていないのか、と。

本番の日は、朝から劇場内の稽古場で稽古です。まぁ稽古場っていうか部屋なんですが、それがもう素敵過ぎる。印象派の画家でギュスターブ・カイユボットという人が、床の鉋かけをしている三人の労働者を描いている絵があるんですが、その絵の部屋と似過ぎていて、まるで絵の世界に飛び込んだような変な高揚が。「大好きな絵の中に、閉じ込められた~♪」ですね。

木製の暖炉があって、小さな暖かい光のシャンデリアがあって、くすんだ水色の壁が自然と気持ちを落ち着かせる、そんな部屋。なんかこんな感じの家に暮らせたら、気持ちとか一切荒まないんだろうなぁ。

で、僕らはお芝居の中で大量の本を小道具、装置として使う予定でいて、その収集を現地の方々にお願いしていたんですね。どのくらいの量が来るんだろうと不安でいたんですが、予想以上に大量の本を用意して頂きまして、無事に装置の方の準備も整います。ありがたかったです。

が、劇場で講演会(能の講演と実演をしていました)が行われていたために、タイムスケジュール的にはカツカツです。22時半開演だったんですが、リハーサルは20時から。間に合うのか…?

言葉も文化も感性の面でも異なる点が多いため、リハーサル自体も難航します。まず向こうの人々は時間に対する感覚がとてもルーズなので、大体時間通りに物事が始まったり終わったりすることがありません。日本の感覚に慣れきっている僕らとしては、苛立ちも募ります。しょうがない、しょうがないんだけど…ゲネプロが終わった時点でもう21時近い時間になってしまっていました。既にヘトヘト。回復出来るかも分からない上に、一回きりの公演。しかも二人芝居。気持ちばかり焦ってしまいます。

正直、本番を迎える上での状態としてはあまり良くない状態でした。どんな状況下でもベストに持っていくのがどの職種でもプロというものだと思うんですが、自分の実力の足らなさを実感。反省ですね。結局開演時間が三十分押して(それも凄いことなんですが)、開演が23時になったため、少し心に余裕が。無事に本番を迎えられる状態になりましたが、課題ばかりが残ります。

しかし、本番が始まれば後はもうやるだけです。三十分一本勝負、一瞬たりとも気を抜くことの出来ないお芝居です。日本語が分からなければ伝わらない、と言わせないために、必死。

思えば、今回再確認したことなんですが、言葉が伝わらない人たちにだって伝わらなければ、本物ではない。いかに自分が言葉に頼っていたか、ということを思い知らされたし、伝えるためには巨大な感情を身内に収めていなければならない。当然のことなんですが、忘れがちなことなんだと思います。

台本を書いていたということと稽古時間が遅い時間帯だったということで、身体的にも精神的にもしんどい稽古期間でしたが、本番はもう、充実。役者間の対話、お客さんとの対話を心行くまで楽しみました。

今振り返ってみると、本番前は日本でも再演するつもりでいたんですが、なんだか満足してしまって、あの時あそこで生まれたものはもう二度と生まれないものだと心から思ったので、暫くは再演するつもりもありません。と、僕が勝手に言ってはいけないんですが、次にやるとしたらまた書き換えて、違った作品となると思います。

で、本番が終わって後片付けが終わったらもう0時過ぎ。遅過ぎだろ…。終バスも逃したし、帰って寝たいし、お腹空いたし、帰って寝たいし…。そんなこんなで本番無事終了。お疲れ様でしたm(__)m

以降、怒涛の観光三昧が始まります。

~つづく~

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