バカなTシャツ

 うちの親父は、広告代理店を看板屋、IT企業を電卓野郎と呼ぶような、昔気質な頑固親父を履き違えて体現しようとするおかしな男だったが、それでも母や、俺のことをちゃんと愛してくれてはいた。
 
 若い時分からの女遊びが崇り、母との結婚を機に全てを清算しようとしたところ、式が一月ほど延びたという話は、親戚の間では恥であり、他人の間では笑い話となるような、つまりうちの親父という男は、どこへ行ってもそういう存在だったようである。
 三十に届こうという歳になっても、結婚せずに実家に居候していた俺に、親父は口癖のように、「お前は遊びが足りん」と言い続けた。それを返す母の口癖もお決まりで、「同じ稼ぎなら遊ばん奴の方がマシ」と、何とも仲のいい夫婦だったのである。

 相も変わらぬ三人暮らしの我が家に事件が訪れたのは、この年の春、世間が桜に浮かれ始めた頃であった。その日、町内の婦人会から遅くに帰った母は、いつもの調子で、「孝太、お風呂入った?」と玄関先で俺に声をかけた。親父は母におかえりとも答えず、ビールを飲みながらいつものようにナイター中継を見ていた。母は近頃にないよくできた人で、食事に箸をつけるのも親父の次、おいと呼ばれればはいと答え、風呂も、家族で一番最後に入った。入ったよ、と俺が答えると、やがて風呂場から気持ち良さそうな湯の音が聞こえた。歯を磨こうと洗面台に立った俺の気配に気づいたのか、母は、「あぁ、極楽」と声に出して湯を浴びた。「長風呂するなよ」、俺は何の気なしに答えてやった。それが最後の会話だった。母は湯につかりながら心臓発作を起こし、ぽっくりと本当に極楽に行ってしまったのである。

 母が死んで一月ほどは、さすがの親父もがっくりと肩を落とし、毎日叔母の出す食事も、半分ほどしか手をつけなかった。親父にとって、人生で初めて花見をしなかった春を終え、葉桜が緑に萌え出すと、ようやくいつもの調子を取り戻し始めた。
 その頃、親父はたまたまテレビで、ヨットで太平洋を単独横断しようとしている人のあることを知った。しかもその人が昔亡くなった恋人への巡礼の旅を行っている、と聞いてひどく感動したようで、俺にしきりに、「男はああでなくてはならん」、と講釈をたれた。
 そろそろ親父が何かをしでかすぞ、と思っていた矢先のとある日曜日、予想の通り、「俺も巡礼の旅をするぞ」と言って無理やりに俺を連れ出した。

 まさか親父に、ヨットに乗って太平洋を横断しようなんてヴァイタリティも金もあるわけがなく、山手線に乗せられてどこへ連れて行かれるのかと思ったら、上野の不忍池だった。
 親父と俺はそこでボートを借りて乗り込んだ。当然のように俺一人に漕がせる親父。周りには親子連れやカップルが多い。じじいとおっさんのコンビは、さぞ奇妙な印象を抱かせたことだろう。ちょうど不忍池の真ん中くらいに辿り着くと、親父は俺に漕ぐのをやめるように言った。緑色の水面を渡る風が心地よかった。
 親父はしばらく黙っていたかと思うと、「初めて来たが、いい所だ」、とつぶやいた。てっきり母との思い出の場所なのだと思っていた俺は、拍子抜けしたのと同時に、この耄碌親父を思い切り張り倒してやろうかとさえ思った。続けて親父はこんな話をし始めた。
 
 「孝太、人生ってのはナ、バカなTシャツみたいなもんなんだよ」
一瞬何を言っているのか理解できなかった俺は、親父に聞き返した。
 
 「バカなTシャツだよ。父さんな、お前が生まれた頃、若い子にまだまだモテていたいと思って、ちょっと無理して若作りしてたんだ。そんな時、格好も若者のようになろうと思って、袖と襟が真っ赤な、柄も派手な白いTシャツを買ったんだよ。目立って若くも見えたんだが、そのTシャツがバカな奴でな、洗濯するたんびに赤い部分が色落ちして、白い部分がまだらに赤くなるんだよ。まるで、武士が自分の振り回した刀で怪我するようなもんじゃ。そん時父さんは思ったよ、ああ、人生も同じだ、ってな。自分がこうあろうと思うと、色んなとこで不具合が出てくる。でも、そいつは結局どうしようもないんだよ。だって、赤い部分は、元々あった部分で、なくすことはできないからな。」

 何を急に意味の分からない話を始めたんだ、と俺は思ったが、感慨深げに話す親父を邪魔することもできず、ただ素直に聞いていた。

 「孝太、大切なのはな、そんなバカなTシャツでも、洗い続ければ色も落ちつくして、かえって味のある色になるんじゃ。それは老いるってことと同じことなんだよ」

 俺にもようやく、親父の言いたかったことが分かりかけてきた。親父は親父なりに、俺に何かを残そうとしているのだろう。

 「その点、古着はええぞぉ…」
えっ!?そういう話だったの?完全に肩透かしを食らわされて狼狽する俺を尻目に、親父は急にボートの上で立ち上がり始めた。危ないからやめろと言う俺に耳も貸さず、親父はついに立ち上がってしまった。

 「涼子ー!!」

 親父は急に叫んだ。しかし、それは母の名ではない。親父は俺の知らぬ女の名を叫び続けた。

 「美香ー!花子ー!芳江ー!秀美ー!紀子ー!靖枝ー!チヨー!キャサリーン!真由美ー!キャサリーン!…皆、ありがとう!!」

 あ、キャサリンと復縁してる…とか思っている場合ではなかった。周りのボートに乗る人々が、皆こっちを向いている。クスクスと笑う人もいれば、子供の耳を塞いでいる親もいる。俺は心の中で、俺は介護士です、俺は介護士です、と呪文のように唱え続けた。親父の方を見上げると、恍惚とした表情で、ボロボロ涙を流している。そして最後に親父は、俺にもなじみのある名前を、一番大きな声で叫んだ。

 「敏子ー!!お前とが一番長く続いたぞー!!」

 親父は涙で声をからしながら、何度も何度も母の名を呼んだ。親父にとって、それが一番、声に出して叫びたい真実だったのだ。あんなに女遊びの激しかった親父、浪費癖があり、まるで子供のようによく母に叱られたが、浮気を指摘されたことは一度もなかった。
 結局俺たちは何者かに通報され、逃げるようにその場から立ち去った。帰りに居酒屋で、俺と親父は旧知の友人のように、遅くまで酒を酌み交わした。

 結局親父は、死ぬまで女遊びをやめなかった。死ぬ前の数年間に至っては、出会いを求めて自ら老人ホームに入る始末だった。
 …でも母さん、生涯、あなたより長く続いた女性はいませんでしたよ。

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