必死にやってるからってだからどうした?

どうも、須貝です。

本番三日目を終え(意外とあっという間)、飲み会終わりに帰宅した須貝です。

稽古をしていても本番を迎えても、うまくいかない時の方が多いわけですが、それをうまくやらんと本番としては成立しないわけで、うまくいかないことが歯痒くってしょうがないわけです。

本当に、死にたくなります。今ここで責任を放棄出来たらどんなに楽かと思います。自分が楽しむためだけで終わることというのは、人に迷惑をかけたり人の時間をただ無駄に削るだけだと思うので、なんにしろ楽しみたいなら一人でやってろ、と思います。

今自分がやっていることは誰かに金銭的な利益をもたらすことでは、はっきり言ってないと思うので(仕事として成立してないので)、精神的なものしか与えられないのですが、それすらなかったらもう損でしかない。損するために生きる人間なんてただのアホです。動物として終わってます。

命はかけがえのないものかもしれませんが、誰かの代わりに誰かがなれないかというとそんなことはなくて、例えば僕がいなくなっても僕の代わりはいくらでもいるわけです。まぁそりゃあ当面は少しは困るかもしれませんが、いつまでも困っているわけではないでしょう。

だから、どんな場所も、例え自分のホームでも、その場所に必要とされていたかったら、死守するしかないわけで、自分のやることなすこと全て損か得かは考えるべきだと思うんです。

人格や人柄だけで使ってもらっているわけじゃあないんだから、自分が出来ることの数や質や量を増やしていかなければ。

芝居が出来ない役者は損でしかないからいない方が良くて、お客さんも呼べないような奴はいるだけ無駄なのでいない方がいい。

と、考え合わせると、もう自分がそこにいていいのか分からなくなります。

だから、技量は磨き続けるべきだし、自分のことだけ考えることはもういい加減やめて、少しくらいは人のために生きればいいのにと思います。

必要とされたかったら、同情を求めたりせず、必要とされる努力をするべきなのです。と、分かっていながら出来ない。いつも憐憫とか情とかをたれてもらって、それに縋って甘えている。気持ち悪い。

いつまで経っても強く生きられません。

「そんなに言うならあなたがやってみたらいい」、と思うこともありますが、僕がその人の仕事に対して文句一つ出せないことが多いので、何も言えません。言う資格もありません。

カッコ良く生きたい。

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