どうも、須貝です。
最近は蓄積と放出の時期で、映画も本も音楽も摂取の時期にあり、柿喰う客の稽古もシャキシャキやっているし(近々ここでも宣伝しますね)、書くものも順調に書き溜めております。
つってももっともっとやるべきだと思うんですが、生来のサボり癖に引っ張られています。人生は面倒臭いとの闘いですね。
で、ふと思ったこと、なんですが、これは前からずっと思っていることなんですが、自分の今ある場所というものは、過去の時点のどこかにおいて自分が無意識に選択していたものだと思うし、例え十年前に自分が遡っても、十年後にはきっと今の自分と同じことをやっていて、同じ人と出会っていたと思うんですよ。
あの時もっとああしていれば自分はもっとこうだったのに、とはもちろん思うし事実その通りだと思うんですけど、かと言ってその頃に戻りたいとは思わないし、失敗の経験も充分に財産だと思うので(その失敗を二度としないと言える訳で)、だから戻りたいとは思わないんですが、その話とは別に、運命の話をしています。
運命というのは僕は引力だと思っているので、何かから勝手に与えられるものという側面だけではなくて、自分の側にもそれを引きつける力が働いていなければ道というものは決されないと思うんですね。
どんな不運に遭っても幸運に遭っても、自分の中でそれに至る選択をどこかでしていたのではないか、という気が、最近はします。
今の人生を選んだのも自分、影響は受けても、決定を下したのは自分だと思うし、だからこそ責任は誰に取らせることも出来なくて。
欲しい物はやっぱり結局買っているし、やりたいことは結局やってしまうし、行きたい所には結局行くし、好きな人には結局好きだと言ってしまうし、思えば自分は自分の浅い所や深い所といった違いはあれど、やりたいように生きてきているのだと思ったら、幸せなんだなぁと思うのです。
今のこの自分も、過去の自分がどこかでしていた選択の結果なのかと思うと、過去というものは疎かに出来んとも思います。過去に縛られることはないと思いますが、無視は出来ないんだなぁ。
納得出来る未来のために今があるという気もするし、今は、分からない未来のためではなくて今のためでしかないとも思います。
希望通りに行っているかどうかということは別にして、欲求には順調に従っているようです。