生き難さについて。

どうも、須貝です。

人に優しくしたいです。

人のために生きたいです。何か人の役に立ちたいです。自分が好きな人や尊敬する人には嫌われたくないです。でも誰かに媚びるのは嫌いです。

充分愛してもらっているのに、もっと愛して欲しいなぁと思ったり、自分は愛されたい人には愛されないのだと思ったりしています。勘違いだと分かっていても、拭えません。

純粋に人のために何かをしていても、それが結局自分のためなのではないかと嫌になります。誰かのためにやっているという自分の姿をアピールしているのではないかと疑います。吐き気がします。

自己主張なんかする必要はないのだと思います。自己主張や主張している自己という意識なんか、必要ないと思うのに、結局それにしがみついているから今こんなことをやっているのだという矛盾があります。

自意識なんか捨て去って、没個人、無記名人として街に溶け込めたらいいのに。どうせ無くなっても何かが変わるわけでもないものに、一体いつまでしがみついているのだろうか。

自分を捨て去れたらこんなに楽なことはないのに。欲を全て捨て去れたらもっと楽だろうに。こうありたい自分とかああなりたい自分なんてこの世で一番どうでもいいことだけど、理想や思想や信条や決意や理由や誇りが無ければ人間として生きていくことが出来ない。

最近、舞台に立つことが何かの修行のような気がしてきています。楽しさの部分がどんどん失われていって、苦行か荒行を自分に課しているような気がします。それは正しいことなのだろうか?いつか破綻しやしないか?

サドとかマゾとかそんなクソったれで薄っぺらな話ではなくて、魂がずっと揺らいでいる。

本当は自分が誰のことも好きでないし興味もないし、とても冷淡に見ているのだということも知っています。自分を一番大事にしているのだということも知っています。それを受け入れられずに苛立っている気もします。

生き難いです。が、生きていかねばならないのが、厳しいです。誰も生きて下さいなんて頼んでいないのだから、生きているのは自分の意思ですが、その自分がどんどんなくなればいいのにと思っていったとしたら、その生命はどこに行くんでしょうか?

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