恐怖は横に置いておけ。


どうも、須貝です。

多分来年になると思うんですが、自分で脚本を書き、出演する企画を計画しております。

で、僕は全く考えていなかったのですが、自分の団体・カスガイを立ち上げたれお君が、「団体の名前を決めるべき」と助言してくれまして、今必死こいて考えていますが、全く考え付きません。

個人的には団体を立ち上げたいということよりも自分の作品を上演したいという目的で始まったことだったので、あまり考えていませんでした。うーむ、でもなきゃないで駄目な気はしますね、確かに。

もし何か名前を決めることになったらここでも発表したいと思っています。決めないかもね。

最近、歳も歳で、色々なことが怖くなってきました。もう今年二十五になるのにこんなんでいいのか自分は、とか、あー、クリスチアーノ・ロナウドとか石川遼くんはあんなに頑張って活躍しているのに、年上の自分は何なんだ、とか。怖いなぁ。

思うに、若くして活躍している方々というのは、既に普通の人が一生で経験すること以上に刺激的、というか、色濃い経験をしているわけで、そうなるともう五十歳とか六十歳とか、何年生きているかとか全く関係なく、尊敬するわけです。

スポーツ選手の方に対してそう思うことが特に多くて、必ず結果の明らかに出る勝負の世界に生きているわけですから、幾多の修羅場を乗り越えているわけで、その数が多ければ多いほど、人間として深くなるというか。

だから例え十七歳でも十八歳でも、ただ漫然と三十年なり四十年なり生きただけのおっさんの言葉なんかよりずっと説得力があったり、勉強になったり、納得出来たりすることももちろんあるわけです。

ニュースなんかでインタビューに答えている活躍中の若者たちの方が、議員さんよりしっかりしていることあるものな。僕、日本の未来に対してあんまり不安を抱いていないんです。だって今あの椅子にふんぞり返っている連中に負けるわけないもの。生きてりゃ僕らの勝ちですよ。

自分の歳の話に戻りますが、いつになったら自分が胸を張れる仕事が出来るんだろうと、焦っているのかもしれませんが、思います。いや、個人的には胸を張れることをしていると思っているんですけど、だからってお金がもらえるわけでも地位や名声が得られるわけでもないし、街を歩いたって誰に呼び止められるわけでもないし(そりゃそうだ)。

それが段々焦りから恐怖みたいなものに形を変え始めてきて、最近では眠ることすら怖くなってきて、「俺、今寝てる場合か!?」とか思って眠りが浅くなる日もあります。大体ぐっすり寝てるけどね。

カスガイの稽古でれお君が言っていたことに関連して、僕もずっと思っていたことがあります。

強く生きていくためには、

自分の強さや弱さや情けなさや嫌な所や、好きなことや嫌いなこと、恐ろしいことや近付きたくないこと、目を背けていることの全て、自分の今、一瞬一瞬の胎動、そういったもの全てを受け入れてやらねばならなくて、そいつを横に置いておいて人事のように眺めるということが、何をするにしても精神のためには肝要であるらしい、ということです。

自分と向き合うのは恐ろしい。自分の知りたくない自分を知るのも突きつけられるのも恐ろしい。

でもそれを横に置いておけたら。「こいつ、俺の連れっすから。あんまり気にしないで下さい」とか気楽に言えたら。

最近、色々なこととうまくやっていくためには、悟りを開くしかないのではと思っていますけど、少しのことに我慢すれば、悟らなくても大丈夫なんですよね。

だってまず、僕って一人じゃないし。

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