無いものねだり。


どうも、須貝です。

花粉症がいよいよ酷いです。暖かくなるのは嬉しいんですけど。

薬を飲むのがいやで飲んでいなかったのですが、せめて目薬は差しなさいと言われたので家の薬箱の奥の方に忘れられ置き去られていた目薬を引っ張り出し、差しました。だいぶ違いますね。どうして意地を張っていたんだろう。

さて、柿チームが旅公演で遠征中はカスガイの稽古もお休みです。休みの間も頑張って台詞覚えな。僕が一番入ってないからな…。

で、最近よく思うんですが、「無いものねだり」って人間の本能だと思うんですよね。本能と言うと少し違う気もするんですけど。いや、やっぱり本能のような気がする。

自分に無いもののことは、やたら目に付いちゃうんですよね。で、それが凄く欲しくなるんですよね。でも、「無いものねだり」って僕は欲じゃなくて本能なんじゃないかと思うんです。どうしようもないことのような気がするんですよ。

そりゃあ、今既に持っているのにそれ以上を欲するのは欲ですよ、立派な。でも自分に無いものを欲しいと思うのは、それは仕方ないじゃないですか。

僕はなんかこの「無いものねだり」ってやつをする自分が凄く嫌で認められないでいたんですね、最近。

カスガイの稽古場ってのが、本当に個性的で素敵な面々の集まりで、楽しいし刺激的なんですけど、それが段々辛くなってきちゃって、「あー俺何もねーなあ」と思っていたんですね。いや、今は思ってませんが。

自分には包容力も無いし受容する余裕も無いし爆発的なギャグセンスも無いし、顔がいいわけでもないし身体能力が高いわけでもないし、記憶力や読解力があるわけでも無いし。そこで、あれ待てよ、じゃあ俺には役者として何があるんだ?と思い始めてしまって。

それが「役者として」に収まっていれば良かったものを、役者って仕事は人間的なものと切り離せないから、「俺は人間としてどうなんだ?」とまで思い始めてしまって。

自分に無いもののことはよく分かるんだよな。自分に無いものってのは、人が持っているもののこと。人が持っていないものを自分は持っているかもしれないけど、自分はなかなかそれに気付かなくて。自分に何があるのかは今でも全然分からないんですけど。

凄い簡単で当たり前のことなんだけど、なかなか難しい気がするんですよね。

僕はどうも自分が信用ならなくて、自分にあるもののことも信用出来ないんですよね。「そんなん普通だよ」とか「誰でも出来るよ」とか「あったところでどうなの?」とか思ってしまう。皆さんそういう時少なからずあるものだと思いますけど。

まあとりあえず、「無いものをねだる」って行為はきっと人間の本能だ、と思ったら少し楽になりました。じゃあしょうがないですよね。

昔ある人に、「舞台上で須貝さんほど普通な人いない」と言われたことがあって、何も無いということも才能というか特徴で有り得るんだなと思いました。物は考えようですね。

でも何も無いのが強みって嫌だな。何かあって欲しいな。何も無いなら創ればいいのかな。

人を羨んでばかりいると、自分が積み上げた物が無意味に感じるし、どんどん自分が信用ならなくなってくる。信頼出来なくなってくる。いちいちゼロになってまたやり直さなきゃいけない。それはそれでバカらしい。

実際大した経験はしていないから吹けば飛ぶようなものかもしれないけど、自分が今までしてきたことが無駄だったと思うのは許せない。自分に関わってくれた人、自分を巻き込んでくれた人、自分に力を貸してくれた人。全ての人に申し訳ない。

だから、違うんだと思います。例え小さくても、何も無いのではないと思いたい。

話が逸れましたが、「無いものねだりはしょうがない」ということと、「何があるかは知らないけど、何も無いわけじゃない」ということを信じてやっていこう。

最近思っていたことの報告でした。

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