誰かにとっての何か。


どうも、須貝です。

一昨日火曜日、虫歯の治療に行って来ました。

多分十五年くらいぶりに行ったんですよね、歯医者。だってほとんど記憶ないですもん。少なくとも十年以上行っていなかったと思います。

で、虫歯になったのももちろん久しぶりなわけで、凄くビクビク、大丈夫かな大丈夫かなと思っていました。もし歯を抜かなきゃいけないなんてことになったらどうしよう、物凄く悪くってずっと通院しなきゃいけなかったらどうしよう、なんて風に。

しかし、実際行ってみたら施術は三十分くらいで終わり、もう来なくても大丈夫と言われ、逆に不安に。だって僕はあんなにビビッてたんですよ?そんな簡単に終わっていいんですか?治療費も2000円にも満たないんですか?

自転車に例えると、パンクを直すくらい簡単な虫歯だったようです。あぁそうですか。

こういう、誰かにとっては一大事でも、その同じ出来事が別の誰かにとってはなんてことはない、なんてことはよくありますよね。

昔中学校にイギリスから来てた先生がいたんですけど、向こうには地震がないから、日本で初めて地震を体験した時、死ぬほどびっくりしだそうです。震度3くらいだったらしいんですけど。

僕は今舞台で俳優をやっているわけですが、学生の頃は7ステージやるのも多かったのに、箱庭では二週間で19ステージとかやっちゃうわけで、さらに言えば一ヶ月公演なんて普通にやっている方もいるわけで、そうなってくると10ステージくらいあっという間に終わっちゃいますよね。

風邪でバタバタ人が死んでいた時代もあったわけで、虫歯も治らない時代があったわけで。

早稲田を目指している人と東大を目指して早稲田を滑り止めにしている人がいたり、300円出すのを躊躇う人がいれば30000円くらい平気で出しちゃう人もいたり。

そう考えると、人がそれぞれ持っている基準によって、一つの出来事の持っている意味が違ってくるのが、とても面白いなと思います。

そういう齟齬(そご)というかズレって、致命的に噛み合わないことありますよね。それが許せるかどうかでその人とやっていけるかどうかが変わって。人間面白れー。

とりあえず、虫歯が治って良かった。近視と胃腸が弱いのもサクッと治らないかな。

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