どうも、須貝です。
一昨日2日に、公演を行うシアタートラムに入りました。そして遂に今日、約十九時間後に本番です。
2日はいつもより少し早めに帰れまして、三軒茶屋から東中野へ、駅から家に帰っている時、一人で歩いていると、凄く、恐ろしくなりました。
自分は今、何もかも自分の思い通りってわけでもないし、不満もあるし不安もあるし、嫌なこともたくさんあるけど、とても充実しているな、と強く感じました。
自分の今の生活が、充実していて怖くなりました。望めば何でも出来るような、今自分の中に、何か強力なものが眠っているような、そんな感覚に襲われて、その気持ちを誰かに伝えたいと強く思ったんですが、どう伝えていいのか分からずにそのままにしておきました。
自慢しているわけじゃないんです。本当にただ、そう思ったんです。
今なら何が起きても乗り越えられる気がしたんですね。
だから多分、一つも不満のない、幸せで仕方ない生活でなければ充実しないかというと、そういうわけでもないようです。
何があっても「だから何だ」と言って押しのけられる気がしたんです。
大事なのは富んでいることや持っていることではなく、幸せか不幸せかでもなく、楽しいか辛いかでもなく、自分が顔を向けた方向に、自分の生活がそのまま向くか向かないかなんじゃないかと思いました。
例え貧しく不幸せで辛く感じたとしても、自分が顔を向けた方向に自分の生活がそのまま向いていれば乗り越えられる。
逆に、どんなに富んで幸せで楽しくても、自分が顔を向けた方向に自分の生活がそのまま向いていなければ、どこかに無理が生じるんじゃないかと感じました。
いつか、自分の好きなことに対してですら、好きなことだからとやめることも出来ず、続けることが辛くなる時がくるかもしれない。
その時に、自分の顔が本当に向いている方向へ、自分の生活をシフト出来る勇気と覚悟は、持っていなきゃいけないと思いました。
反面、今自分がやっていることが、心から自分が求めていることなのであれば、徹底的に一つの妥協もなく、満足いくまでやることが大事だとも思います。
自分が顔を向いている方向に抗わない生き方が、強くて理想的だなと思いました。その状態に、一瞬でも、今はなれているんじゃないかと感じて、充実しているなと思いました。
そういう自分がこれからどうなっていくのかさっぱり分からなくなって、怖いような楽しいような、初めて感じる感覚でした。
と、まあよく分からないことを言いましたが、そうこう言っている内に本番の時間はどんどん迫ってきていたようです。
もう寝ます。