どうも、須貝です。
箱庭円舞曲に合流してはや六日目を終え、公演も明日と明後日の二日を残すのみとなりました。終わるのが惜しいような気がします。
この作品を観ていて、美しいということに関して考えました。
一人の人間の美がもし極まったとしたら、それは果たして誰かに理解されるんだろうか。
その人の美が極まっていくに連れ、その人は孤立していくんじゃないだろうか。そんな気がして、それがすごく、難しいなぁと考えました。
自分のやることは自分の美の基準から外れていて欲しくない。でも、美は誰かの目に常に晒されるもので、常に評価されるものだという、宿命を背負ってます。
また、別のことも考えました。それでも、人が誰しも美しいと感じて心動かされるものってあるじゃないですか。陳腐じゃなく、圧倒的に美しいもの。
僕が人間に対して希望を捨てきっちゃならんなと思うのは、それがあるからなんですよね。
思想でも宗教でも民族でも国境でも繋がり合えないけど、何かを美しいと感じる心でだけ、人は繋がれる気がするんです。美しいものを美しいと感じるのは、感性じゃなくて本能なんじゃないかと僕は思うんです。本能が鋭いか麻痺しているかだと思うんです。
そんなこんなを色々と考えさせる(少なくとも僕は考えた)箱庭円舞曲の『極めて美しいお世辞』、お世辞抜きで面白いです。観に来て下さい。
写真は、公演Tシャツを宣伝しようと思って撮ってもらったものです。文字を見えるようにし、笑ってみたら、なぜかとても腹の立つ気持ち悪い写真になりました。
なんか、オードリーの春日さんを知らない人に何となく特徴を伝えてみたら、間違ってこうなったって感じです。
そんな公演Tシャツも売ってます。