どうも、須貝です。
どうやら12月は30日まで休める日が一日もないということに気付きました。知り合いがたくさんお芝居やってますが、泣く泣く観に行けないものが多そう。うわーん。
が、「大人は忙しくてもねじ込んで遊ぶ」という持論があるので、大人化への第一歩、遊ぶ時間や観劇の時間はねじ込みます。家にいると不意に30分くらいフリーズしてしまう今日この頃です。
さて、お金を稼ぐために荒んだ心で仕事をし、そこから稽古に臨んで、ほっこり心にたくさん潤いとやる気を充填してまた荒みに戻るという生活が続いています。変にバランスが取れているから不思議ですが、あと少しでそれが崩れそうで怖いです。
「朝から晩まで自分のしたいことだけ出来ればいいのに」と常々思っている自分は、そもそも「仕事をする」ということ自体に向いていないんだろうといつも思います。
でも、ちゃんと向かうものがあってする苦労は苦労の内に入らないと僕は思う。打ち込めるものがあるのがこれほどまでに幸せだとは思いませんでした。今僕は、試されている。試されていることが、光栄だ。
最近十五歳の役者さんと知り合って、その人がまた堂々と舞台に立っているもんだから感慨深い。そのせいか、最近十年前の自分ということをよく考える。
十年前の僕はちょうど十五歳。中学を卒業して高校へと進む頃。まだ演劇に触れたこともなかった。高校に入って演劇を始めて、来年でちょうど十年くらい。
十年前の自分が今の自分を見たらどう思うだろう。失望するだろうか。正直分からない。素直に納得されても複雑だけど。
多分僕は、十年前に自分が抱いていた十年後の自分の理想像を、越えたいんだろう。越えたくて格好悪くもがいているんだろう。もがけばもがくほど離れていくけど、それでも諦めたくないんだろう。
十年前の飛行機事故、というものが今書いている台本のモチーフになっていて、特に十年という期間には意味はなく、むしろ全く意味はないんだけど、自分の意識の根っこの方にそういう思いが、まだキラキラ希望を抱いていた頃の自分のことがあって、十年という言葉が選ばれた気がする。適当なんです。
と、もう一つ。確かオノ・ヨーコさんが言っていた言葉だと思うけど、「一つのことを十年頑張ったら、神様はご褒美をくれる」んだそうだ。自分を含め、十年何かを頑張った人たちへのご褒美の話を、書きたかったのかもしれない。よく分からないけど。
十年後に自分が書いたものを見返した時、顔から火が出るほど恥ずかしく思うのも、そんなに悪いことじゃない、と今は思っています。
明日には思い直して色々訂正するかもしれませんけどね。