どうも、須貝です。
生きること、に伴うことは必ずしもきれいなことばかりじゃない。
人混みにもまれてもまれて、もまれる内に心が磨り減っていったり、誰かの悪口を言ったり、聞いたり、全て投げ出したくなったり、殺してやりたいほど腹が立ったり、嫉妬したり、醜く求めてみたり、自分が嫌いだったり、争ったり、があるわけで。
生きていると、どうしても、汚いことに向き合わなければならない。
それでもその汚いことどもに、負けたくないんです。
出来れば負けないで生きていきたいんです。
きれいなことが全てでもなく、かといって汚いことが全てでもない、そういう世の中で、
それでも自分の中には美しいものが常にあって欲しいのです。
美しいものを美しいと思う心が、
生活や社会や常識や怒号や怒りや悲しみや誹謗や中傷や人種や宗教や国境や偏見や政治や国家や無関心やねたみやそねみや苦しみに、負けて欲しくないのです。
生きていて、たとえこんなとこでも。
自分が生きる意味を疑いながら、それでも僕は人にそういう言葉を無責任に投げかけたい。その営みは、非常に人間的なんじゃないだろうか。
昨日兄に、僕が二月に上演する作品を一言で言うと、と聞かれて、答えに詰まってずっと考えていましたが、結局なんにも考え付きませんでした。それでも僕の作品には、僕という人間の二十五年が詰まっています。
言葉一つ、沈黙一つ、句読点一つ切り取っても、僕の血が流れることでしょう。
そしてその作品を書くにあたって、上に書いているようなことも考えました。だからまぁ、そういうことも言いたいのでしょう。
今日、心から幸せになって欲しいと思う人の結婚パーティーに行きました。暫く声を聞いていなかったので話したいなと思っていた人の声が不意に聞けました。
そうしたらなんだか突然、こんなことを書いてみたくなったのでした。