不思議感覚。


どうも、須貝です。

近頃、ごたごたとわだかまっていた色々なことが一時にはっきりして、落ち着いた気持ちで過ごしています。気を楽にして作品に向き合っています。

『センチメンタリ』の稽古では清水穂奈美さんが現在本番中(今日の夜観に行きます)。さらにインフルエンザや体調不良が続出して稽古を進めることが出来ず、昨日と今日の稽古はお休みとなりました。

これはきっと神様が、「もっと作品を詰めなさい」と言っているのだと思い(何の神様だ)、久しぶりにじっくりと台本を読み返しています。具体的な演出のプランを練らねば。

僕が健康なのが、唯一の救いだと思います。今から緊張とプレッシャーで毎日胃がキリキリしてますが。

そんなこんなで、日常でも仕事でも台風の目の中にいるような静けさ。そのせいか最近、とても不思議な気持ちでいます。

なんというか、自分が今身を置いているあらゆる場において、自分の存在がどんどん薄くなってきているというか、自分がいなくなっても三秒後には地球は相変わらず回るというか、そんな感覚。

決して、「どうせ俺はどこでも必要とされてないんだ」なんて子供みたいなこと言ってるわけではなく、心から、自分という感覚が薄くなっていっている気がする。そしてそれが別に悲しいとか悔しいとかそんな気持ちを起こさせるわけではなく、ただ「そうか~」と思っているだけという、何だろうこれはという気持ちです。

「何言ってんだこいつは」と思った方もいるでしょうが、僕にとって「自分」とは唯一絶対の存在だったのです。

もっと俺を見て、ここは俺でしょ、俺こそまさに行くべきでしょ、なんで俺じゃないの?俺をもっと愛しなさいよ、俺を大事にしなさいよ、俺の話で笑いなさいよ、まず俺に話しなさいよ、俺と一緒にいろよ、俺って凄いって認めなさいよ、俺を信用しなさいよ、何を置いてもまず俺でしょ、まあとりあえず俺でしょ。

などなどの俺主張。自分の中にあった自分の存在価値や意味合いは、他者なんか置いといてもっとも濃厚だったのだ。

しかし、主張しなければ存在できない自分など、随分とか弱いもんだなと思う。

そんな自分は、結局クソの役にも立たないのだ、と思う。

作品が出来上がるにつれ、そこに自分という感覚がどんどんと薄くなっていき、実務という意味ではもちろん、monophonic orchestraという団体に自分がいなくては話にならないんだけど、作品として作品はもう自立し始めている気がする。

この作品を観に来る人は、例えば僕の作品だからとか誰かが出ているからとかそういう理由で観に来てくれるのだろうが、それが最終的には、印象とか記憶とか、出来れば感動とか、そういったあやふやなものだけで全てが満たされて、誰がいたとか誰が書いたとかそういった具体的なもの全てが消え去って、そのあやふやなものがあやふやなくせにいつまでも消えないで残っていて欲しいと、思うのである。

今死んでも悔いないな。いや、もちろん死ぬのは怖いけど、「死ぬ」ってなったらあわわーとか言いながらおしっこ漏らして命乞いするんだろうけど、最近自転車に乗りながらよく思う。「今事故っても別にいいなー」って。おい、危ないって。

いや、生きますけどね、必死で。でないと今までお世話になった方に何も返せぬままだ。

ただ、バイオリズム的にそういう時期なんだろうなぁと、思うわけです。

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